史跡
渡鹿堰・大井出(熊本市中央空)
渡鹿堰ってすごい。景観がどうのこうのというスポットではなくて、加藤清正公のまちづくりの緻密さを本当に感じる場所でした。
この歴史ある堰は、白川の流れをせき止め、熊本平野に水を供給する重要な役割を果たしてきました。特徴的なのは、川に対して斜めに突き出たその形状で、当時の高度な土木技術の高さを物語っています。水害や自信などの被害を受けるたびに修復され現在もなお、農業用水を供給するなど、その機能は失われていません。清正公が神様になった理由がよく分かる。そんな遺跡です。
渡鹿菅原神社 / 水分神社(熊本市)
白川から田迎・出仲間方面への用水路の取水堰・渡鹿堰を守る神(水分神)と菅原道真公を祀る神社。由緒書にある宮司さんは渡鹿観音堂やら渡鹿の年禰神社も管理なさってるようです。 渡鹿菅原神社 / 水分神社へのアクセス 渡鹿菅原神 […]
村山祖母神社(高森町)
熊本県高森町の村山祖母神社は、927年創建の歴史ある神社。阿蘇都媛命を主神とし、樹齢数百年のスギやイチョウが境内を彩る。雄大な自然の中で、静寂と歴史を感じられるパワースポット。
読坂鋳造阿弥陀如来立像(玉名市)
読坂鋳造阿弥陀如来立像へのアクセス 読坂鋳造阿弥陀如来立像について の阿弥陀如来立像は、ここから約二百メートル離れた読坂というところにあったのを現在の場所に移し変えたもので、昔から「読坂の黒ぼとけさん」と呼ばれ、市民に親 […]
繁根木稲荷神社・稲荷山古墳・補陀落渡海碑(玉名市)
玉名市にある繁根木稲荷神社。⛩️知ってる?古墳の上に建つ歴史ある神社なんだって!全国でも珍しい石碑があるから、歴史好きにはたまらない場所だよ。
壽福寺跡 (玉名市)
寿福寺は、かつては栄華を誇った寺院でしたが、戦国時代の戦乱により荒廃しました。発掘調査により、地下式坑などから仏具や陶磁器が出土し、当時の繁栄ぶりがうかがえます。現在は建物跡は残っていませんが、地域の歴史を語る上で重要な場所となっています。
伝左山古墳(玉名市)
伝左山古墳へのアクセス 伝左山古墳の概要 繁根木川右岸の台地上。南側縁辺近くに築かれた円墳。現状、直径およそ35メートル、高さ5メートル。墳形については、西側もしくは南側(国道208号線側)に前方部が付く前方後円墳であっ […]
菊池飛行場ミュージアムと周辺の戦跡(菊池市)
菊池飛行場ミュージアムへのアクセス 菊池飛行場ミュージアムへのアクセスは、熊本市内から車で約1時間程度。公共交通機関を利用する場合、JR熊本駅からバスで菊池市へ向かい、さらに泗水町行きのバスに乗り換えて約20分程度で到着 […]
久米八幡宮(菊池市)
久米八幡宮は、菊池市泗水町にご鎮座する歴史ある神社。由緒正しい神社で菊池市とのつながりが深いと思わる。境内には石鎚と呼ばれる石塁が菊池遺産として登録されている。詳細が不明なんだけど、
れんがの壁(熊本市西区)
れんがの壁 について
れんがの壁 のもととなった熊本駅周辺の風景を私は知らない。しかし、西区の方々にとってはとても大切な故郷の記憶。熊本駅・田崎橋電停の眼の前にある合同庁舎を囲うように積まれたれんがの壁。
これ熊本市電と並走してる数十メートルがエモいのよ。路面電車とレンガってレトロな感じがマッチするのだよ。
二本木神社(熊本市西区)
二本木神社 は887年創建と伝わる千年を超える歴史の神社。遥拝大明神を祀っていたが、いつの頃からか、建磐龍命を祀るようになっているし、二本木神社と名乗るようになったのは昭和に入ってから。古くから熊本の歴史を紡いできた二本木なので、いろいお複雑な歴史がありそう。
春日神社(熊本市西区)
春日神社 の概要 春日神社の由来書によると 春日神社は平安時代の延久3年(1071年)に藤原家の子孫である菊池則隆公(菊池家初代)が肥後に入国した際に建てられました。藤原家の祖先は天児屋根命と言い、天照大神が天岩戸の中に […]
番所記念広場と蛇籠港
公園の東側に位置する、江戸時代中期におかれていた運上番所の跡地を整備した広場。番所記念碑が設置されてる。 八代のまちなかから球磨川堤防を散策するとこんな風景何だけど、いまいちピンとこない。せっかく現場に行ってきたのだから、その写真を使って、投稿したわけだけど・・・でも周辺は夕景が美しかったよ。
澤井家住宅及び長屋門(八代市)
由緒書によると 八代城下町の西の一角に位置する西小路は上級武士の侍屋敷が並ぶ場所でした。澤井家は室町時代から足利家に仕える家柄でしたが、その後細川家に仕えるようになりました。元和7年(1621)6月、細川忠興(三斎)の六 […]
方保田東原遺跡(山鹿市)
方保田東原遺跡(かとうだばるいせき) 1985年(昭和60年)2月、国の史跡に指定された 方保田東原遺跡 は、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての複合遺跡で、幅9mの大溝をはじめ多数の溝や350を超える住居跡など、土器 […]
上津久礼眼鏡橋(菊陽町)
上津久礼眼鏡橋 菊陽町の田園風景に不思議な橋がある。現役を引退して保存のために、謎めいた存在感を放っている上津久礼眼鏡橋。津久礼井手(大アーチ)と瀬田下井手(小アーチ)の二つの流れに架かる二連式アーチ橋。特徴としては井手 […]
御馬下の角小屋(北区)
御馬下の角小屋 について 穴場の史跡だと思う。熊本市北区四方寄、北バイパスと国道3号線(本線)の合流部分からわずかに北側にある。 江戸時代の庄屋さんが営んだ「質屋・酒屋」の堀内家(旧赤城家)の住宅。 参勤交代で、細川家や島津家の休憩所として利用していたようだ。篤姫や西郷隆盛も立ち寄ったかもしれない。
下田西野宮神社(南阿蘇村)
下田西野宮神社 について 烏帽子岳に向かって延びる山道の先には豊かな自然に溢れる、鎮守の杜がそこにはあった。 下田西野宮神社 ギャラリー 下田西野宮神社 の 歴史・由緒 祭神は、阿蘇大明神・甲佐大明神・高来大明神など16 […]
円台寺の磨崖仏群(熊本市北区)
熊本最古の磨崖仏? 円台寺の跡の山裾の崖に、石仏が彫られている。 鎌倉中期の制作といわれている阿弥陀三尊像と阿弥陀如来坐像などは熊本県の重要文化財に指定されています。 結構いたずらが多くて損傷が激しくなってきているようだ […]
清瀧神社 - 山鹿城跡(山鹿市)
山鹿市の中心部の散策は風情を味わうことが出来て非常に楽しい。ちょっとスナック多すぎな印象がまた旅情を募らせる。 さてこの中心部の銭湯・さくらの湯の南方200mくらいのところにひっそりと佇む神社・城跡。これもスナックとかお […]
下鶴眼鏡橋(御船町)
緑川の支流・八勢川に架かる眼鏡橋。熊本を代表する名石工・橋本勘五郎・弥熊 親子の手によるものだ。明治15年から19年まで実に4年の歳月を費やして、架橋された。橋マニアでなくても魅力を感じることができるので、ドライブの休憩などで足を止めて楽しんでほしいところだ。
須屋城 跡(合志市須屋字下屋敷)
須屋城 は新須屋駅から近くにある須屋氏築城の南北朝時代のお城ということだが、戦国期は合志氏の出城だったとも伝わるそうだ。城址として名残を感じるものはあまりないけども、観音堂や石廟などで往時を偲ぶのも悪くない。 須屋城 跡 […]
上御倉古墳・下御倉古墳
上御倉古墳 下御倉古墳 は、阿蘇國造神社 の境内に隣接したところにある。 阿蘇國造である速瓶玉命とその妃宮の雨宮媛命の奥津城(お墓)と言われている。 下御倉古墳は下御蔵古墳と書かれている資料もある。 案内板 上御倉古墳 […]
貝洲加藤神社(八代市鏡町)
貝洲加藤神社 に参拝した。実は宮司さんと禰宜さんがこの神社について丁寧に説明してくださった。被写体さんとこの神社と八代の干拓の歴史を学びながら、この神社の創建に纏わる、関係者の想いなどに思いを馳せる。実際の写真などを使って紹介するので、皆さんのお出かけの参考になれば幸い。
大江高等女学校跡(熊本市)
熊本市中央区新屋敷にそびえるマンション「エイル新屋敷レガリア」と電車通りとの間にある歩道に佇む石碑。
このあたりに「大江高等女学校」があったのだそうです。
大江女学校は今では耳にしない学校です。
神風連史跡・熊本鎮台司令長官 種田政明 旧居跡(熊本市)
明治9年に熊本区(現在の熊本市)で起こった、神風連の乱によって殺害された熊本鎮台司令長官・種田政明の旧居跡。
熊本市中央区新屋敷にある。
阿部一族屋敷跡・私立熊本医学校跡地
熊本県の地方放送局RKKの建物の外壁に「私立熊本医学校跡地」「阿部一族屋敷跡」のプレートがあるだけど、何かしらに思いを致すことができるわけではない。 阿部一族屋敷跡 森鴎外の著作「阿部一族」の題材となった阿部一族の屋敷跡 […]
門前川眼鏡橋(御船町)
門前川に掛かる眼鏡橋。平成28年熊本地震で傷んでしまったが、修繕補強され現在に至る。橋の掛かっている御船町木倉という地域は、味わい深い佇まいの地域。古くから人々の営みがあったとされています。控えめな川の流れに、小さいなが […]
真鍋栄先生顕彰碑(熊本市東区)
託麻東小学校区の民家の敷地っぽいところにあったので、分け入るのが躊躇われたので、遠くから撮影。 この石碑は、真鍋栄 先生の業績を検証した碑文のようです。 真鍋 栄 先生とは 託麻八十八箇所の開祖・上野教宣氏の義理の甥との […]
高瀬裏川水際緑地・公園(玉名市)
玉名に行ったらラーメンや温泉も良いけども、高瀬裏川水際緑地もぜひ楽しんでほしいところ。歴史的な町並みが美しく性bされているのでSNS的にもイケる場所です。
平山 菊池 本宅跡・大琳寺跡(熊本市東区)
菊池家14代菊池武士が建立したとされる託麻五山の一つ大琳寺跡。北に穴太積の石垣、裏手に二重の堀を構えた小城郭同然の要害地。 初代重千代丸(武治22代能運の遺児と伝承)依頼17代続いた平山菊池家の住居の跡である。 先の大戦 […]