美女木神社(熊本市南区)

美女木神社について

美女木社という通称で親しまれる高江神社は南高江にご鎮座している。
拝殿などはコンクリで造られている珍しいタイプの神社。美女木という地名が埼玉にあるんだけど、この神社とは関係なさそう。美女木御前というこの地域の領主「河尻実昭」さんの奥さんの名前に由来している。1420年に実昭は、主である肥後国守護・菊池兼朝に対して謀反を起こす。御前も鎧に身を固めて戦いに参加するが、力尽きてこの神社で自刃。

しかし旦那さんはその後も生き残って、菊池兼朝に許されたという話を聞くのだが、なんともやりきれない。

美女になれるとかそういう訳では無い。

美女木神社 ギャラリー

明神鳥居の扁額には「美女木社」と書かれている。

美女木神社 の 歴史・由緒

美女木神社由来

美女木神社 は 美女木御前 を祀るという。美女木御前は河尻家最後の領主河尻左馬頭実昭の妻室とみられる。応永27年(1420年) 河尻実昭は肥後の守護菊池兼朝に謀反を起こし、兼朝から攻められた。 実昭は家臣の裏切りを察知し、いち早く城を脱出した。一方、美女木御前は敵の攻撃に対し、防戦に努めたが、味方の裏切りや頼みの援軍も来ないため、侍女十数名と鎧に身を固め、名馬に打乗って群がる敵軍の中に打って出た。奮戦むなしく人馬共に傷つき、血路を開いてやっと逃げのび、現在の美女木社で休息した。後から従ってきた侍女等は「早く逃れ給え」と勧めたが、御前は「今は一寸も進めず」と自害された。(註・これより一寸榎の名が起こるという)村人は御前と愛馬を葬り、後に美女木大明神として祀った。また、侍女等も後を追って自害した。この侍女等を祀った神社が刈草町の亀坂神社といわれる。尚、実昭は後に菊池氏に従い、旧領に復すことを許されたと伝えられる。しかし、河尻氏は実昭を最後にその子孫を伝えるものはなく、建久6年(1195年)より240余年間、11代にして絶えた。美女木社の神木エノキは御前の墓標に植えた ものという。美女木社の祭りは、現在12月の第2日曜日に行っている。桜の大木を御神体として祭事には太い締め縄を根元に七巻半ほど巻き、大豆切薬等の馬料を供へ榎の中程に鯛を吊るし、弓でこれを射るのを儀式としている。

美女木神社 の 御祭神

美女木御前

美女木神社 の 本殿と拝殿

拝殿はコンクリート製でできていて、ギリシア神殿を彷彿とさせる 上無田松尾神社 となにか通じるものを感じる。。。

この拝殿の中でボクシングの練習をする若者たちがいた。

本殿はなく、美女木御前が葬られたと思われる場所には御神木と洋風の祭壇を想起させる台があった。

美女木神社 の 祭事

12月第2日曜日

美女木神社 へのアクセス

  • 所在地
    〒861-4106 熊本県熊本市南区南高江1丁目11−70
  • 駐車場:なし
  • 公共交通機関
    JR西熊本駅から15分
    産交バス:南高江(旧道)から5分