揺ヶ池神社(西原村)新着!!
萌の里付近の自然のなかに、それはあった。熊本地震で水が枯れてしまったというが、近隣の人がここの水で、悩みの足痛が治ったことがあって、国内どころか海外までその名が知れたという伝説を持つ。今では、主之神と弁財天の二柱を祀っている。
草部吉見神社(高森町)
阿蘇神社の主祭神・健磐龍命のオジキであり、義父(嫁のオヤジ)でもある。草部吉見神だと黒龍神と呼ばれているこの神様は、日子八井命といい、神武天皇の長男なのだ。京都から宮崎に上陸した健磐龍命はここで阿蘇都媛と結ばれて、阿蘇谷に進出することになる
菊池飛行場ミュージアムと周辺の戦跡(菊池市)
菊池飛行場ミュージアムへのアクセス 菊池飛行場ミュージアムへのアクセスは、熊本市内から車で約1時間程度。公共交通機関を利用する場合、JR熊本駅からバスで菊池市へ向かい、さらに泗水町行きのバスに乗り換えて約20分程度で到着 […]
久米八幡宮(菊池市)
久米八幡宮は、菊池市泗水町にご鎮座する歴史ある神社。由緒正しい神社で菊池市とのつながりが深いと思わる。境内には石鎚と呼ばれる石塁が菊池遺産として登録されている。詳細が不明なんだけど、
有朋の里 泗水孔子公園(菊池市)
有朋の里 泗水孔子公園は、熊本県菊池市泗水町にある公園。孔子の生まれ故郷である中国の泗水に由来し、孔子像や中国風の建築物が点在。熊本市内から車で約1時間のアクセスで、季節ごとの自然美も楽しめる静かな憩いの場を紹介します。
花立日吉神社(菊陽町)
花立日吉神社へのアクセス 数百メートル東には別の日吉神社があったり、北方に陸自の演習場(黒石原)があったりする。武蔵ヶ丘とか清水新地とかの熊本市・合志市・菊陽町の住宅地にご鎮座する。 花立日吉神社の由来・由緒 日吉神社は […]
日吉神社(菊陽町武蔵ケ丘)
菊陽町武蔵ケ丘2丁目の日吉神社は総研から150年程度。若い神社だが、境内内の毘沙門堂はもっと古くから会って、神仏分離でいろいろ会ったのかな。社務所などはないが手入れが行き届いて近隣から崇敬されているのがワカル。
旧黒石原陸軍飛行場 奉安殿跡
かつて黒石原には陸軍の飛行場があり、奉安殿も設置されていた。戦前・戦中の日本において奉安殿というのは当時の天皇皇后両陛下の御真影と教育勅語を納めていた建物。戦後はGHQの神道指令のため廃止され得たが、解体を免れその場に遺されている。これは県内唯一のものとのこと。
須屋の三ツ石(合志市)
三ツ石 はこの地域の名前の由来にもなっている。ちなみに熊電の三ツ石駅のホームからも見える。
伝承として、このあたりで「源為朝」がウサギ狩りをしてたら、ウサギじゃなくてこの石に当たったという。素矢(的に外れた矢など)から転じて須屋(このあたりの地名)と呼ぶようになったとか。
鶴羽田菅原神社 / 鶴阿弥陀三尊像(熊本市北区)
鶴羽田菅原神社 の概要 鶴阿弥陀三尊像について 神社に隣接する鶴阿弥陀三尊像は大永6年(1526)に緒方民部通長が願主となって縦たもの。中央の線刻が可愛い。 左の板碑は、もともと井戸の踏み板だったようで、災が続いたので、 […]
須屋神社 / 須屋八幡宮 / 五社宮 (合志市)
須屋神社は一説によると1308年、菊池武時によって創建。その後氏神として近隣に大切にされる。江戸期には矢野派による三十六歌仙の絵馬が奉納される。
れんがの壁(熊本市西区)
れんがの壁 について
れんがの壁 のもととなった熊本駅周辺の風景を私は知らない。しかし、西区の方々にとってはとても大切な故郷の記憶。熊本駅・田崎橋電停の眼の前にある合同庁舎を囲うように積まれたれんがの壁。
これ熊本市電と並走してる数十メートルがエモいのよ。路面電車とレンガってレトロな感じがマッチするのだよ。
二本木神社(熊本市西区)
二本木神社 は887年創建と伝わる千年を超える歴史の神社。遥拝大明神を祀っていたが、いつの頃からか、建磐龍命を祀るようになっているし、二本木神社と名乗るようになったのは昭和に入ってから。古くから熊本の歴史を紡いできた二本木なので、いろいお複雑な歴史がありそう。
宮寺熊野座神社(熊本市西区)
宮寺熊野座神社 の概要 詳細をご存じの方、情報ください 宮寺熊野座神社 の 見どころ 神社 沿革 年月 出来事 年月 出来事 宮寺熊野座神社 へのアクセス
田嵜神社(熊本市西区)
その歴史はよくわからない。結構境内は広くて大きな樹木がある、どうやら近隣の企業や住民の駐車場としても利用されているらしい。瓦屋根の拝殿は寄合所タイプになっている。小祠タイプの本殿は拝殿と繋がれているわけでもない。おそらく熊本地震でいろいろ傷んだりした結果。
天満宮 (熊本市西区)
天満宮 は珍しい神社。天満宮なので本殿には菅原道真公がおられるはずなんだが、摂末社にも田嵜菅原神社と。
二重に菅公を祀るその理由を知りたい。いやいや、実際、あるっちゃあるんだけど、この神社の最大の特徴だから。。。とにかく情報が少なくご存じの方に教えてもらいたい。
萬日神社(熊本市西区)
萬日神社 創建時期こそわかっていないけど、古くからこの町の産土神として、地域の人々に大切にされている神社。境内は大きくはないが、万日山の斜面に、石垣をこしらえて、玉垣を巡らせ、しっかりとお祀りしている。現在は北岡神社が祭事に携わっている。境内からの眺めも美しい。
春日神社(熊本市西区)
春日神社 の概要 春日神社の由来書によると 春日神社は平安時代の延久3年(1071年)に藤原家の子孫である菊池則隆公(菊池家初代)が肥後に入国した際に建てられました。藤原家の祖先は天児屋根命と言い、天照大神が天岩戸の中に […]
北岡神社(熊本市西区)
北岡神社 は1000年以上の歴史をもつ、熊本市内でも有数の由緒正しき神社。京都を懐かしんで「祇園宮」などと読んでいた。今でも祇園橋・祇園祭とその名残がある。実際に北岡神社という名前になったのは、明治時代に入ってから。創建から三度の遷座が行われ、現在地に。長い歴史の北岡神社を写真などをつかって紹介するよ。
番所記念広場と蛇籠港
公園の東側に位置する、江戸時代中期におかれていた運上番所の跡地を整備した広場。番所記念碑が設置されてる。 八代のまちなかから球磨川堤防を散策するとこんな風景何だけど、いまいちピンとこない。せっかく現場に行ってきたのだから、その写真を使って、投稿したわけだけど・・・でも周辺は夕景が美しかったよ。
若宮神社(八代市東陽町南)
拝殿は入母屋平入向拝つきで、桟瓦葺。向拝は出三斗、中備に間斗束。身舎は布石に建ち、組物はなく、筋違で固める。天井は板張り違いの格天井。幣殿開口部は連子格子である。 本殿は2005(平成17)年に修復。一間社流造。三方に組 […]
菅原神社(八代市東陽町北)
菅原神社は、国道443号線沿いにご鎮座し、北にある白髭山の天神様を祀っている。伝承ではこの天神さまが蹴破ってできた、白鬚天然橋や破片となって田んぼに埋まってる岩石、種山の石工の技術力に舌を巻かざるを得ない「ひねり灯籠」などが参拝者の目を楽しませる。
併せて、のどかな田園風景などがこの神社の見どころだろうか。実際に参拝したときの写真などで、菅原神社について紹介していこう。
立神熊野座神社(氷川町)
立神熊野座神社について説明しよう。国の天然記念物にも指定されている美しい渓谷・立神峡は、石灰岩の絶壁が連なる人気の景観。その傍らに上宮・中宮・下宮を持つ由緒正しき神社がある。それが、立神熊野座神社。
熊本県護国神社(熊本市中央区)
熊本県護国神社 は近代日本の為に命を捧げた人々を祀る神社。明治二年に天皇陛下からの勅旨を奉戴した藩主・細川韶邦公、細川護久公が花岡山に祠宇(祠・拝殿)を建立し、宮部鼎蔵 他150柱をお祀りしたのが始まり。
立野神社(南阿蘇村)
はっきりしないのだけど平安時代に三田井政次氏によって祀られたと神社の由来版には記されていた。
私にとって三田井氏というのは馴染みがないので調べてみた。
宮崎の高千穂氏の末裔で、天照大神や宇佐神宮の開祖などに連なるっぽい超名門の一族という。
1431年頃には阿蘇家への起請文をだしている記録があったりしていているので、阿蘇家に属していたこともあるっぽいけど、安土桃山時代には滅んでいる。
澤井家住宅及び長屋門(八代市)
由緒書によると 八代城下町の西の一角に位置する西小路は上級武士の侍屋敷が並ぶ場所でした。澤井家は室町時代から足利家に仕える家柄でしたが、その後細川家に仕えるようになりました。元和7年(1621)6月、細川忠興(三斎)の六 […]
年禰神社(熊本市中央区渡鹿)
寛永年間は、島原の乱などの影響で農民たちも大変苦しい状況だったようだ。日に日に苦しくなる暮らしに農民たちは、すがる思いで、農業の神様を祀る。主祭神の 国龍神 は建磐龍命のオジキにあたる。