小旛八幡宮

小旛八幡宮

子飼本町にご鎮座する小旛八幡宮。鳥居の扁額には小旛宮、拝殿の扁額には小幡宮と書かれている神社。境内内には月極の駐車場があったり、境内社がなどがいくつか点在している。

小旛八幡宮へのアクセス

  • 交通
    熊本電鉄バス・産交バス 子飼本町 停留所の正面
  • 所在地
    熊本県熊本市中央区子飼本町1−20
  • 駐車場
    参拝者用の物があるか堂かは不明

小旛八幡宮について

創建にまつわる話は詳らかになっていないが、和銅の頃とされている。

「肥後国誌」には、次のような縁起が記されています。「中国(唐)の皇帝の皇女が七歳の時に男子を生み、怪しまれて母子ともども海に流され、日本の薩摩(鹿児島県)に流れ着いた。人々は憐れみ養っていたところ、皇帝の迎えが来た。帰国するとき、皇女親子の石像を立てられたが、その後石像は割れ、そこから八本の白旗が飛び出てきた。その内の一本が当地に飛んできたので、その地に八幡宮が建立された…。」このような縁起をもつ神社ですが、戦国期に入ると兵火によって荒廃し、一帯は森のようになっていました。その後、細川忠利が藩主として熊本に入国した際、子飼付近に立派な森があることに感心し、村の庄屋にその由緒を尋ねました。以前そこに八幡宮があったことを知ると、同社の再興が命じられました。八幡宮は岩清水八幡宮や鶴岡八幡宮に代表されるように、武家、とりわけ源氏にとっては重要なものです。源氏の流れをくむ細川氏にとっても八幡宮を再興する事は非常に大切なものだったのではないでしょうか。忠利が感心した樹木は昭和三十年代まで樹齢五百年を越えるものが茂っていましたが、相次ぐ風水害によって残念ながら伐採されてしまいました。

こうして再興された小旛八幡宮の氏子区域には子飼本町・子飼西町・妙体寺町などが含まれます。祭礼日は4月25日と10月24日で各町内の総代達が集まり行なわれていました。三十年ほど前までは道沿いに多く出店が立ち並び、奉納相撲が開催されるなど活気を呈していたようです。戦前は農家の人々が中心でしたが、境内に子飼商店街から恵比寿宮が移されたことなどによって商店街の人々にも多く親しまれています。ほかにも愛宕宮・金毘羅宮や個人宅から移された宮地嶽宮などもあります。

小旛八幡宮の裏には白川が流れ、ちょうどそこで川が蛇行して淵を作っています。そこは八幡淵と呼ばれ、以前は済々黌高校の生徒が泳ぎに来ていたりしたそうです。

御祭神とご利益

なんの神様

八幡大神
(誉田別命・比咩大神・息長帯姫命)

つまり應神天皇

祭事

どんなお祭りがあるのかな?

4月25日
10月24日

御朱印

御朱印の有無・対応時間など

小旛八幡宮の見どころ

神社に参拝したら是非チェックしてほしいポイント

小旛八幡宮の歴史

年月出来事