加藤家
貴田孫兵衛(毛谷村六助)

貴田孫兵衛は、安土桃山時代の武将で、加藤清正の家臣として知られています。900余石を知行し、「加藤十六将」の一人とされました。 本名は貴田統治(きだ むねはる)とも呼ばれ、歌舞伎の毛谷村六助(けやむら ろくすけ)の題材で […]

続きを読む
鋳方徳蔵(いがたとくぞう)

鋳方徳蔵は、1864年(元治元年)〜1933年(昭和8年)を生きた人物で、陸軍大学校を卒業後、明治19年に陸軍砲兵少尉となり、佐世保要塞司令官や野戦砲兵第二旅団長などを歴任し、中将として大本営陸軍幕僚参謀にまで出世した熊 […]

続きを読む
河尻実昭

河尻実昭は肥後川尻城の城主で、その時期は応永年間(1400年代初頭)だったとされている。美女木神社に祀られる美女木御前の旦那さん。 河尻家最期の主 地名は川尻なのに、主は河尻ってのが気になるけど、この河尻家は名門で、源高 […]

続きを読む
元田永孚

元田永孚は、熊本藩出身の儒学者であり、明治政府では宮内省に仕え、明治天皇の教育に尽力しました。横井小楠に師事し、儒学を学びます。宮内省では天皇側近として侍補職を設置するなど、天皇親政を推進しましたが、藩閥勢力との対立によ […]

続きを読む
松井氏

八代城主・細川家家老として熊本を支えた松井氏についてざくりまとめる。戦国時代に活躍する松井康之という人物は清和源氏満政流の子孫で、室町時代も足利の幕臣として仕える。その関わりで細川藤孝とともに、足利義昭を擁立し次第に細川 […]

続きを読む
熊本の誇り
遠山弥二兵衛

遠山弥位二兵衛は通潤橋を作った布田保之助と同じく、貧しい農民たちのために農業用水を確保することに腐心した人物。

続きを読む
源為朝

源為朝は、平安時代の武士です。とても体が大きく、弓を射るのが得意豪傑だった。生まれつき少し乱暴なところがあり、九州に追放されてるんだけども、その九州でたくさんの人を従えて勢力を広げます。九州・熊本には彼にまつわる伝説が山 […]

続きを読む
甲斐有雄

甲斐有雄(かい ありお)は、江戸時代から明治時代にかけて活躍した、熊本県出身の石工であり、社会事業家です。彼は、その傍ら、約1800基もの道標を熊本県を中心に、大分県や宮崎県などにも設置したことで知られています。 甲斐有 […]

続きを読む
懐良親王

懐良親王の生涯と、九州における南朝の動乱をわかりやすく解説。菊池氏との関係や明との交流など、興味深いエピソードも満載です。#南北朝 #九州 #歴史

続きを読む
赤穂事件と肥後細川藩

赤穂浪士と肥後細川藩の繋がりについて説明します。

続きを読む
加藤家
加藤清正 公

加藤清正 公 は天正16年(1588年)に肥後半国を、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いの軍功で肥後一国の大名となる。それから慶長16年になくなるまでの約17年間で数々の実績を遺した。その功績を実際の写真などを使って説明したい。

続きを読む
熊本の歴史年表

熊本の歴史年表を作成している。理由は自分の学びのためなんだけど、アップデートを重ねてゆくことで、いろんな方の参考になればいいなと思っている。熊本県内の出来事だけではなくて、日本全体・世界全体の出来事も一緒に比較できるようなタイムラインを作っていけたらいいなと。

続きを読む
加藤家
加藤正方 - 加藤家家臣

加藤正方 は熊本藩加藤家の家老として内牧城代、八代城代などを歴任する家老職。加藤清正公が亡くなり、若年の藩主・忠広を支え、時には藩政の派遣争いがお家騒動になってしまったりする。大地震で崩壊した八代のマチを立て直しながら、忠広の改易で職を失う。その後は京都で隠棲しながら、大阪の相場で距離を得たりしている。

続きを読む
藤原保昌

藤原保昌は超有名な人に命じられて、肥後守になる。若い頃は九州の地方官を歴任して、後半生は近畿の地方官を歴任する。肉食系女子の女流歌人・和泉式部と夫婦になったり、今昔物語・宇治拾遺物語などででも語られるほどの豪傑。祇園祭の保昌山のモチーフにもなっている。そんな藤原保昌について紹介しよう。

続きを読む
阿蘇十二神
阿蘇十二神

阿蘇十二神は、阿蘇神社に祀られる12柱の神々。センターである健磐龍命(タケイワタツノミコト)との関係に基づいて祀られている。記事では、12柱の神々を全てリストアップして簡単な説明している。

続きを読む
佐川官兵衛

佐川官兵衛は会津藩の家老だった人物。戊辰戦争でその勇猛ぶりを遺憾なく発揮したが敗北。明治政府に壊れて警察官になってり西南戦争では政府軍として戦い、熊本でその生涯を閉じた。その激動の人生、特に熊本の地での最期について深く掘り下げていこう。

続きを読む
細川氏
初代・細川忠利(2代小倉藩主・初代熊本藩主)

肥後熊本藩の初代藩主。加藤家改易後に豊前小倉藩から転封となる。島原の乱では23,000名もの軍勢を率いて鎮圧軍に参加する。細川忠興とガラシャの三男で、父とは逆に、バランスの取れた穏やかな人格だったようだ。

続きを読む
肥後国司
紀夏井

紀夏井 (きのなつい) について 生年月日:不明 没年月日:不明 肥後国司の歴史をネットで調べていると、初代の 道君首名 以来ほとんど、肥後国での仕事ぶりがわからない。その後150年、少なくとも16名もの肥後守がいるのだ […]

続きを読む
肥後国司
肥後の國造

肥後 の 國造 について くにのみやつこ、こくぞう、こくそうなどと読む。 大和朝廷と地方豪族の時代の行政区分である「国」の長官的な役割を果たした「地方豪族」が「國造」に就いていた。肥後国に組み込まれる前の阿蘇の阿蘇國造な […]

続きを読む
肥後国司
道君首名(みちのおびとな)

道君首名 について 生年:天智天皇2年(663年) 没年:養老2年4月10日(718年5月18日) 「続日本紀」という文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱う勅選史書に登場する […]

続きを読む
肥後の国司

肥後の国司 というのは主に大宝律令による統治下で、官僚として肥後国を統治した人を指す。中央からは遠いけど、ランクの高い肥後国の国司になるということは、出世のためにも大事だったようだ。

続きを読む
菊池一族
菊池(藤原)経頼:菊池家3代目

菊池(藤原)経頼 について 菊池経隆の子。従四位下、兵藤四郎。詳細はよくわかっていないが、筑前方面に勢力を拡大し粥田荘を鳥羽院に寄進している。 伯父・菊池政隆の娘を嫁にしているのは、血統のねじれの解消が目的だという人も少 […]

続きを読む
菊池一族
菊池(藤原)経隆:菊池家2代目

菊池(藤原)経隆 について 藤原則隆の子。別名は兵藤警護太郎。肥後守。彼の事績は余り残っていないが、母親は葉室(藤原)光親(正二位・権中納言)の娘。というすこぶる高いお公家様とつながっている。菊池氏が本来は地方豪族(推測 […]

続きを読む
鹿子木親員・寂心さん

寂心さんとして親しまれる戦国武将の 鹿子木親員 。信長の野望ではそれほどの能力値ではないのだが、彼の業績はもっと評価されるべきものだと思っている。

続きを読む
ONE PIECE:麦わらの一味 「ヒノ国」復興編

とりあえず揃った。ルフィが転んでる。

続きを読む
肥後細川家の歴代当主たち

肥後細川家の歴代当主たちを紹介する。細川家は鎌倉時代に起源を持ち、室町幕府の管領家を務めるが、この細川家は傍流。だが名門として今もその血脈を繋いでいる。興味ない?

続きを読む
西住小次郎 ~ 軍神と呼ばれた男

この方が命を落としても尚、戦車上の人物でありたかったかと想うと、複雑な気持ちになるのは私だけだろうか。

続きを読む
阿蘇氏
速瓶玉命

速瓶玉命 は、健磐龍命の子で、阿蘇氏の祖であり、初代・阿蘇国造です。奥さんは雨宮媛命。

続きを読む
菊池一族
菊池(藤原)則隆(菊池一族・初代)

菊池氏の歴史の始まりは、藤原北家が菊池氏の源流とされていたが、どうやら菊池氏を名乗っていた土豪が地域を任された時に、藤原というネームバリューを利用して、中央政府の御威光を借りようというところから始まったみたい。

続きを読む
阿蘇氏
健磐龍命 - タケイワタツノミコト

阿蘇神社の主神・健磐龍命の物語は結構面白いので、本当に漫画にしたら面白いんじゃないかと思う。神話なので解釈とか諸説がいろいろあると思います。詳しい方はアドバイスを、我々同様初心者は一例とおもって御覧ください。

続きを読む
阿蘇氏
阿蘇家 (阿蘇大宮司家・阿蘇氏)

阿蘇氏とは古来より現在まで続く阿蘇神社の大宮司家です。阿蘇氏の概要についてまとめています。健磐龍命から続くその系譜は現在まで続く日本屈指とも言われています。

続きを読む
放牛石仏 (地蔵)全118体余り

放牛さんのお話は江戸時代初期のお話なんですが、なかなか切ないものがありますね。ここでは諸説ある放牛さんのそのお地蔵さんの紹介をしています。

続きを読む
ミスコン
MISS KUMAMOTO(ミス・クマモト)

ミス・ユニバース熊本大会の事務局が発展的に進化したMISS KUMAMOTO。
全国的にも「美人」が多い地域として知られている熊本県。その美の原石たちを見た目だけではなく内面からも魅力を磨いていき、あらゆる分野で日本を代表するような女性に育ててゆくことを目的としたプロジェクトです。

続きを読む
菊池一族
肥後・菊池氏について

肥後の菊池氏は肥後熊本の歴史の中でも名門貴族としてその名を轟かせています。ここでは肥後の菊池一族の栄枯盛衰をダイジェストで解説しています。菊池遺族の歴代当主も紹介しています。

続きを読む