加藤正方 - 加藤家家臣
加藤正方 は熊本藩加藤家の家老として内牧城代、八代城代などを歴任する家老職。加藤清正公が亡くなり、若年の藩主・忠広を支え、時には藩政の派遣争いがお家騒動になってしまったりする。大地震で崩壊した八代のマチを立て直しながら、忠広の改易で職を失う。その後は京都で隠棲しながら、大阪の相場で距離を得たりしている。
初代・細川忠利(2代小倉藩主・初代熊本藩主)
肥後熊本藩の初代藩主。加藤家改易後に豊前小倉藩から転封となる。島原の乱では23,000名もの軍勢を率いて鎮圧軍に参加する。細川忠興とガラシャの三男で、父とは逆に、バランスの取れた穏やかな人格だったようだ。
道君首名(みちのおびとな)
道君首名 について 生年:天智天皇2年(663年) 没年:養老2年4月10日(718年5月18日) 「続日本紀」という文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱う勅選史書に登場する […]
菊池(藤原)経頼:菊池家3代目
菊池(藤原)経頼 について 菊池経隆の子。従四位下、兵藤四郎。詳細はよくわかっていないが、筑前方面に勢力を拡大し粥田荘を鳥羽院に寄進している。 伯父・菊池政隆の娘を嫁にしているのは、血統のねじれの解消が目的だという人も少 […]
菊池(藤原)経隆:菊池家2代目
菊池(藤原)経隆 について 藤原則隆の子。別名は兵藤警護太郎。肥後守。彼の事績は余り残っていないが、母親は葉室(藤原)光親(正二位・権中納言)の娘。というすこぶる高いお公家様とつながっている。菊池氏が本来は地方豪族(推測 […]
菊池(藤原)則隆(菊池一族・初代)
菊池氏の歴史の始まりは、藤原北家が菊池氏の源流とされていたが、どうやら菊池氏を名乗っていた土豪が地域を任された時に、藤原というネームバリューを利用して、中央政府の御威光を借りようというところから始まったみたい。
健磐龍命 - タケイワタツノミコト
阿蘇神社の主神・健磐龍命の物語は結構面白いので、本当に漫画にしたら面白いんじゃないかと思う。神話なので解釈とか諸説がいろいろあると思います。詳しい方はアドバイスを、我々同様初心者は一例とおもって御覧ください。
阿蘇家 (阿蘇大宮司家・阿蘇氏)
阿蘇氏とは古来より現在まで続く阿蘇神社の大宮司家です。阿蘇氏の概要についてまとめています。健磐龍命から続くその系譜は現在まで続く日本屈指とも言われています。
MISS KUMAMOTO(ミス・クマモト)
ミス・ユニバース熊本大会の事務局が発展的に進化したMISS KUMAMOTO。
全国的にも「美人」が多い地域として知られている熊本県。その美の原石たちを見た目だけではなく内面からも魅力を磨いていき、あらゆる分野で日本を代表するような女性に育ててゆくことを目的としたプロジェクトです。
肥後・菊池氏について
肥後の菊池氏は肥後熊本の歴史の中でも名門貴族としてその名を轟かせています。ここでは肥後の菊池一族の栄枯盛衰をダイジェストで解説しています。菊池遺族の歴代当主も紹介しています。