河尻実昭
河尻実昭
kawajiri saneaki
河尻実昭は肥後川尻城の城主で、その時期は応永年間(1400年代初頭)だったとされている。美女木神社に祀られる美女木御前の旦那さん。
河尻家最期の主
地名は川尻なのに、主は河尻ってのが気になるけど、この河尻家は名門で、源高明の流れ。河尻三郎源実明が、赴任してきたのが始まり。1190年に河尻荘の地頭に任命されて、川尻・日吉・力合・飽田・天明・富合・宇土走潟あたりを支配していたようだ。
時代が下り実昭の代に至るまで、河尻は北朝側だったり、菊池氏は南朝側だったりと、相克の果に、滅んでゆく。
河尻実昭は1420年の戦いで、菊池兼朝に敗れる。
しかし、河尻という苗字は地名の川尻として残り現在まで至る。
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参考サイト
河尻町,コトバンク
「菊池一族 菊池兼朝について」(上),こじょちゃんの戯言