甲斐有雄

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甲斐有雄 について

甲斐有雄(かい ありお)は、江戸時代から明治時代にかけて活躍した、熊本県出身の石工であり、社会事業家です。彼は、その傍ら、約1800基もの道標を熊本県を中心に、大分県や宮崎県などにも設置したことで知られています。

甲斐有雄:道しるべを刻んだ石工

甲斐有雄(かい ありお)は、江戸時代から明治時代にかけて活躍した、熊本県出身の石工であり、社会事業家です。彼は、その傍ら、約1800基もの道標を熊本県を中心に、大分県や宮崎県などにも設置したことで知られています。

道しるべを刻んだ理由

なぜ、甲斐有雄はこれほど多くの道標を造ったのでしょうか。

  • 旅人の安全: 山間部や原野など、道がわかりづらい場所を多くの人が行き来していた当時、道しるべは旅人の安全を守るために不可欠なものでした。
  • 地域の発展: 道しるべを設置することで、地域間の交流が活発になり、地域の活性化に貢献すると考えたと考えられます。
  • 自己表現: 道しるべに独自の言葉や歌を刻むなど、自己表現の場として利用していた可能性もあります。

道しるべの特徴

甲斐有雄が作った道しるべは、単なる道案内にとどまらず、その多くに彼が自作の詩歌が刻まれています。これらの詩歌は、道行く人に励ましや教訓を与え、道標をただの石ではなく、人々の心を温める存在にしたと言えるでしょう。

その後の評価

甲斐有雄の功績は、没後も高く評価されています。1958年には「熊本県近代文化功労者」として顕彰され、彼の作った道しるべは、地域の文化遺産として大切に保護されています。

まとめ

甲斐有雄は、石工としての技術と、地域に対する深い愛情を胸に、数多くの道しるべを造り上げました。彼の残した道しるべは、今もなお、人々の心を癒し、地域の歴史を語り続けています。

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