菊池(藤原)経隆:菊池家2代目

並び鷹の羽

菊池(藤原)経隆 について

藤原則隆の子。別名は兵藤警護太郎。肥後守。
彼の事績は余り残っていないが、母親は葉室(藤原)光親(正二位・権中納言)の娘。というすこぶる高いお公家様とつながっている。菊池氏が本来は地方豪族(推測)でありながら、中央としっかりつながっていた様子がわかる。

幼名の三郎からわかるけど、長男ではない。藤原定任(肥後国司だった)が暗殺され。長男の政隆が疑われてしまったので、運良く家督を嗣ぐことができたと思われる。さらに刀伊の入寇での祖父と父の軍功が、経隆の手柄という事になっているので、ラッキーマンということがよくわかる。

寛治年間(1087〜1090)、加恵に諏訪宮と八幡宮を勧請した。墓所は出田の若宮神社とされているが、墓碑などは見つかっていない。

生年:天喜元年6月(1053)伝

没年:長治2年6月28日(1105)伝

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