菊池(藤原)経頼:菊池家3代目

並び鷹の羽

菊池(藤原)経頼 について

菊池経隆の子。従四位下、兵藤四郎。詳細はよくわかっていないが、筑前方面に勢力を拡大し粥田荘を鳥羽院に寄進している。

伯父・菊池政隆の娘を嫁にしているのは、血統のねじれの解消が目的だという人も少なくない。

生年:延久5年8月(1073)

没年:保安4年6月5日(1123)

粥田荘は、今の福岡県の直方市や若宮市あたりだ。経頼の四男は粥田経遠と名乗っている。そして、その頃は、京都で武者所になっている。武者所ってのは、平安時代の場合、院の御所を警備する武士、およびその詰め所を指す。

さらに、筑前国の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波4群にまたがる大勢力だったのが粥田氏とその一族の山鹿氏。この山鹿氏は、今の福岡県の芦屋町山鹿(遠賀川河口)を本拠地にしていたようだ。

関連スポット

準備中

次の記事

肥後の国司