繁根木稲荷神社・稲荷山古墳・補陀落渡海碑(玉名市)

繁根木稲荷神社とは?

玉名市の中心部に、繁根木八幡宮と隣接するようにご鎮座なさっているお稲荷さん。
もともとは、稲荷山古墳(前方後円墳)があり、時代が下り壽福寺を神宮寺とする末社・稲荷神社ができる。ここら一帯は繁根木遺跡群と呼ばれていて、発掘調査によって弥生時代後期の青銅鏡がだったり、大東亜戦争時の防空壕跡などが発見されている。古くからの歴史がいっぱい詰まっているので歴史好きには最高の場所かと思われる。

繁根木稲荷神社へのアクセス

  • 交通
    産交バス:玉名市文化センター前 至近
  • 所在地
    熊本県玉名市繁根木73
  • 駐車場
    なし

繁根木稲荷神社とは

詳細はわからないが、室町時代には御鎮座なさっているらしい。

そして、お稲荷さんなので御祭神は宇迦之御魂神ということになる。神宮寺・壽福寺の末社だったとも伝わる。

前方後円墳の後円の部分が社領あるいは墓地として残っている。

狛犬はキツネ。結構可愛いタイプだった。

史跡・稲荷山古墳とは?

石碑にはこんなことが書いてあった。

西暦六世紀頃この地に全長百米を超える
玉名最大の前方後円墳が営まれた。この地点より、東の後円部は 中世・壽福寺の境内となって削平されたので明らかではないが前方部は葺石に覆われ朝顔型を含む埴輪円●列が二列めぐっていた

縄文武時代の貝塚が南一帶にあり弥生式 末期の竪穴住居跡が古墳の下から発見された

また奈良時代には立願寺瓦と同一の瓦を持つ薬師堂がその前方部に建立された。

鎌倉時代大野荘の鎮守繁根木八幡宮が移建され壽福寺はその神宮寺となり、室町時代に末社の稲荷堂がこの地にあった

ここに並ぶ古●碑は壽福寺境内にあったもので 特に永禄十一年(一五六八年)の板碑は、観音の浄土ある補陀洛山へ入水往生し、永遠の安楽を求めようとした、熱烈な信仰を示す補陀落渡海碑で全国に珍しいものである。

昭和三五年都市計画のため古墳の現状を変更するに当たり、学術調査を行い諸事実を明らかにすることができたので、ここに碑を建設する次第である

史跡・稲荷山古墳とは?

案内板にはこう書かれている。

玉名市指定重要文化財

補陀落渡海碑並びに宝塔塔身

指定年月日:昭和37年3月31日

三基の板碑と一基の宝塔塔身があるが、これらの石造物のうち、向かって右側の阿弥陀三尊来迎図を刻んた板碑が補陀落渡海碑である。

補陀落渡海とは、海上にあるとされる観音信仰における補陀落浄土を目指して往生(船出)することで、その供養として立てられたのが補陀落渡海碑である。

この補陀落渡海碑は、永禄11年(1568)11月18日に、下野国の弘円上人、駿河国の善心、遠江国の道円らが補陀落渡海ちたのにちなみ、西光坊が施主となって建立したもので、現存の補陀落渡海碑は、本市の伊倉本堂山及び大阪府泉南市の一基、計三基だけである。

この補陀落渡海碑と並ぶ板碑2基の左端に、文永4年(1267)銘の宝塔塔身がある。

平成9年3月 玉名市教育委員会

実際に補陀落渡海っ即身仏的な修行なんだけど、調べてみるとすんごい怖いよ。

神社の沿革

年月出来事

参考文献・参考情報