阿部一族屋敷跡・私立熊本医学校跡地

熊本県の地方放送局RKKの建物の外壁に「私立熊本医学校跡地」「阿部一族屋敷跡」のプレートがあるだけど、何かしらに思いを致すことができるわけではない。

私立熊本医学校跡地・阿部一族屋敷跡

阿部一族屋敷跡

プレートの文言

寛永18年(1641)3月、藩主細川忠利がなくなり、阿部弥一右衛門も殉死した。
嫡男の権兵衛は、遺族に対する待遇を不当として、忠利の三回忌のとき髻を切って霊前に供えたため、不敬の廉で捕えられた。権兵衛の弟達は兄の屋敷に立もって誅伐され、権兵衛も縛り首になった。この事件を小説化したものが森鴎外の「阿部一族」である。

一族が全滅したため屋敷跡は久しくわからなかったが、昭和36年に作家荒木精之の努力によって、此の地であることが判明した。

熊本市

森鴎外の著作「阿部一族」の題材となった阿部一族の屋敷跡とされている。具体的に鴎外が題材にしたのは、栖本又七郎(作中では「柄本又七郎」)などの証言ベースで編まれた「阿部茶事談」というものらしい。

明治天皇崩御の際に乃木希典陸軍大将が殉死したことが、当時盛大に是非が議論されたらしい。

私立熊本医学校跡地

プレートの文言

熊本大学医学部の前身である私立熊本医学校は、1987(明治30)年創立地である千葉城町(当時は内坪井町)から当地に移転し、1901(明治34)年城東町(当時は手取本町)へ移転するまで存在した。

熊杏会[熊本大学医学部同窓会]

熊大医学部が私学としてその歴史を踏み出したことを私は知らなかったのだけども、長い歴の中で結構移転してるんでだねぇ。

アクセス

〒860-0016 熊本県熊本市中央区山崎町8

駐車場なし