須屋城 跡(合志市須屋字下屋敷)

説明板

須屋城 は新須屋駅から近くにある須屋氏築城の南北朝時代のお城ということだが、戦国期は合志氏の出城だったとも伝わるそうだ。
城址として名残を感じるものはあまりないけども、観音堂や石廟などで往時を偲ぶのも悪くない。

須屋城 跡の説明板による概要


須屋城 跡は、南北朝時代に須屋地域を治め、菊地氏庶流 (分家)であった須屋市蔵隆正(すやいちぞうまさたか)の居城と伝えられています。
城は、東西約200m、南北約200mの約40000平米の範囲に築かれた平城で、現在でも当時の空堀跡や土塁が残っています。また、陣ノ山や下屋敷など城に関連すると考えられる地名も残っており、平野部に築かれた中世 の城跡が残っている例は県内でも少ない貴重な遺跡です。

今回、国道3号熊本北バイパスの路線が須屋城跡の一部を通ることになり、平成13年度から発掘調査を実施したところ、城の空堀や土塁、掘立柱建物跡などの遺構や中国から輸入された青磁や白磁の碗、皿、壺などや銅銭、国内で作られた備前焼や瀬戸焼などの陶器、茶器である天目茶碗や風炉、釜、茶臼などの他に日用雑器である滑石製石鍋、すり鉢、鍋などがたくさん出土しました。

出土した遺物から、室町時代(約600年前)に最も繁栄していたことや、堀や土塁など遺構の配置から、城の重要な部分が遺跡の東北部に位置することなどが判明しましたが、まだ不明な部分が多く残る 遺跡です。

また、縄文時代早期(約8000年前)から弥生時代や古墳時代、奈良・平安時代など各時代にわたる土器や石器、鉄器などの遺物がたくさん出土したことから、ここには古代から現代にかけて長年にわた。 人々が生活していた様子がうかがえます。

*公園内に移設されている石の祠は、 須屋城跡から見つかったものと伝えられ、 現在でも地元により大切に祀られています。

須屋城想像復元図:合志市教育委員会 平成20年3月

須屋城 跡のまわり

新須屋駅の近くにある顔が削られたお地蔵様が気になる。

須屋城 跡アクセスマップ

〒861-1102 熊本県合志市須屋

駐車スペースなし