地蔵
穿戸羅漢山(高森町)
羅漢山は南阿蘇の外輪山の一部。ここの岩壁には風穴があり、羅漢像などが安置されている。気軽に立ち入ると怪我とかするかもしれないので、それなりに「登山」するんだという気持ちで挑んでほしい。途中、急勾配で足元の悪い箇所、道幅が […]
揺ヶ池神社(西原村)
萌の里付近の自然のなかに、それはあった。熊本地震で水が枯れてしまったというが、近隣の人がここの水で、悩みの足痛が治ったことがあって、国内どころか海外までその名が知れたという伝説を持つ。今では、主之神と弁財天の二柱を祀っている。
掘明町 虚空蔵菩薩 (山鹿市)
掘明町 虚空蔵菩薩 について 歴史の町、山鹿市堀明町、八千代座の近くにある虚空蔵菩薩。雰囲気があって味わえる。 天和3年(1683)に子供の守り本尊として祀られたそうだ。 福と智を宇宙一杯に持っておられこれをおしみなくお […]
霜野大日堂と霜野大日堂前六地蔵(山鹿市)
霜野大日堂と霜野大日堂前六地蔵について 康平寺を中心とした、密教寺院の集積地たる霜野地区。神仏習合の日本独自の宗教が育つ中で、この大日堂も作られたのだろう。いや、康平寺の寺領の一部だったかもしれない。 康平寺の文化財や公 […]
霜野日吉神社 と 六地蔵(山鹿市)
霜野日吉神社 について 霜野日吉神社 は 康平寺 へと続く55号線沿いにご鎮座している。どうも比叡山を手本にしたような神仏混淆の集落だったようで「近江坂本(比叡山がある地域)の日吉神社を勧請したんじゃないか説」が有力。 […]
鹿生野毘沙門天堂(山都町)
鹿生野毘沙門天堂 について 生野毘沙門天の由来 この地区には、後藤友則という殿がいた。 その屋敷跡は「殿の邸」といわれている。 今は田になっている。 そこを掘ると、焼灰などが出てくる。 今なお、それで地名に「駄尿(だばり […]
時堂・阿弥陀堂(水俣市袋)
時堂の板碑 によると 記年銘のある石造物としては市内最古のもので、昭和4年(1929)に斎藤俊三氏と当時の袋区長・田上寅平氏により発見された。中央には円相内に地蔵尊の種子 「カ」が刻まれ、その下に蓮華座上に立つ地蔵が刻ま […]
須屋城 跡(合志市須屋字下屋敷)
須屋城 は新須屋駅から近くにある須屋氏築城の南北朝時代のお城ということだが、戦国期は合志氏の出城だったとも伝わるそうだ。城址として名残を感じるものはあまりないけども、観音堂や石廟などで往時を偲ぶのも悪くない。 須屋城 跡 […]
阿蘇市の小さな祠・お地蔵さん
南阿蘇村にもたくさんの小さな祠やお地蔵さんがおられます。 祠・お堂 隼鷹天満宮のお隣りにある的石公民館の敷地にあります。神仏混淆のような気もするのですが、地域の方々により丁寧に管理されていることが伝わってきます。 アクセ […]
南阿蘇村の小さな祠・お地蔵さん
南阿蘇村にもたくさんの小さな祠やお地蔵さんがおられます。 社(名称不明) 南阿蘇の贅沢な田園風景の中にぽつんと佇む祠。一つは観音堂でしょうか、もう一つは神様を祀っていました。こうして小さな祈りを見つけるのも楽しいものです […]
火登り地蔵(山鹿市山鹿)
火登り地蔵は、菊池往還道の加藤神社と併設するようにぽつんとあります。 火登り地蔵は湯町(温泉街)にはよくあるものらしい。 ただ、この地蔵さんだけは、もともと長源寺にあったのが、火事が起こるたびに東へ坂を登ると言い伝えられ […]