神風連史跡・熊本鎮台司令長官 種田政明 旧居跡(熊本市)

神風連史籍熊本鎮台司令長官 種田政明

明治9年に熊本区(現在の熊本市)で起こった、神風連の乱によって殺害された熊本鎮台司令長官・種田政明の旧居跡。

熊本市中央区新屋敷にある。

種田政明

鹿児島城下の高麗町で生まれ、1862年(文久2年)、島津久光の上洛に従い中川宮朝彦親王付の護衛となる。

これを契機に諸藩の志士と交流を持つようになり、その交渉役を果たし、戊辰戦争にも参戦。

その後、薩摩藩常備隊2番隊長を経て、1871年(明治4年)、御親兵大隊長として上京。

兵部省に出仕し、兵部権大丞、兵部少丞を歴任。1872年(明治5年)、陸軍省創設後は、陸軍少丞、会計監督、会計監督長代理などを歴任。

1873年(明治6年)11月、陸軍少将となる。

東京鎮台司令長官を経て、1876年(明治9年)9月、熊本鎮台司令長官に就任。

陸軍薩摩閥の中では大将の西郷隆盛に次ぎ、同じく少将の桐野利秋、篠原国幹と並ぶ人物だったが、神風連の乱で殺害されてしまった。

妾である小勝と就寝中、蜂起した敬神党に居宅を襲撃され、これに応戦するも首を刎ねられ殺害された。

小勝は事件後、東京の両親に「ダンナワイケナイ ワタシハテキズ」と後に勇名を馳せる電報を打つ。

おそろしき一夜

この襲撃事件は、当時8歳ほどだった徳富蘆花が目撃しており、のちに「おそろしき一夜」という作品になっている。

アクセス

駐車場とかはないので気をつけて

〒862-0975 熊本県熊本市中央区新屋敷1丁目11