湯の鶴棚田(水俣市)
湯の鶴棚田 とは 湯の鶴温泉から更に山奥に入っていくと、棚田がある。ここは昔から棚田がひろがっていたが、減反などによって、随分と田んぼは減ってしまったようだ。平成10年に発足した「湯の鶴棚田管理組合」24軒の農家がこの風 […]
湯の鶴温泉(水俣市)
700年の歴史を持つ湯の鶴温泉は、水俣市にある静かな温泉地です。傷ついた鶴の発見がきっかけとなり、単純硫化水素泉の湯が評判を集めました。2022年に国民保養温泉地に指定され、より多くの人々に親しまれています。
八尋神社(熊本市)
八尋神社 について 熊本市の城下町、鍛冶屋町の住宅地に囲まれるようにご鎮座している 八尋神社 。小さいながらしっかり整備されているのは、近くの神社の方とかが面倒見てるのかな。 参拝方法は2礼4拍手1礼だったと思う。大物主 […]
チッソ旧工場(水俣市)
チッソ旧工場 その廃墟には悲しい歴史が刻まれている。旧チッソの工場跡。明治の終わりに水力発電の会社として始まり、その電力を利用して化学肥料をつくる会社へと成長した。この会社が発展したからこそ水俣の町は発展したと考えること […]
恋路島を臨む親水公園 - 恋人の聖地
恋人の聖地とは NPO法人地域活性化支援センターが展開する「少子化対策と地域の活性化への貢献」をテーマとした『観光地域の広域連携』を目的にとしている。熊本県にもいくつかあるけど、その一つが 恋路島を臨む親水公園 である。 […]
丸嶋神社(丸島神社・祇園宮・水俣市)
丸嶋神社 について 大正時代に丸島町に遷座されたようで、もともとはもう少し海に近い祇園町にご鎮座なさっていたと思われる。祇園宮という名前が残っている。 丸嶋神社 ギャラリー 丸嶋神社 の 歴史・由緒 顕彰碑には 大正七年 […]
濱八幡宮(水俣八幡宮・水俣市)
濱八幡宮(水俣八幡宮) について 濱八幡宮(水俣八幡宮)は水俣市の中心部?に鎮座する神社。境内には亀の池やら亀にちなんだ石など、亀を推している神社。水俣市自体が「カメ推し」な気がしないでもない。 水俣市で初詣の参拝客が最 […]
内牧菅原神社(阿蘇市)
内牧菅原神社 について 阿蘇内牧にご鎮座する神社。有名ないまきん食堂とかがある商店街の近く。食後の散策などで参拝するのも楽しいかも。10月には馬追い奉納で多くの人が賑わうそうだ。 スッキリした神社で、気持ちが落ち着く場所 […]
竹崎水源(南阿蘇村)
毎分120トンの湧水がコンコンと湧き出す水源。すぐ側の両伴側と一体化してて、川の水源地(源頭)的な雰囲気が濃い。 アクセス 所在地〒869-1501熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字両併20 駐車場あり
七森神社(熊本市東区)
七森神社 について 白川沿いの下南部に佇む。 七森神社 ギャラリー 七森神社 の 歴史・由緒 七森神社 (天神さん」の由来 所在地:下南部二丁目一二五(字居屋敷) 国郡一統志には、「天神森」と記載してあるが、一般的には「 […]
円台寺の磨崖仏群(熊本市北区)
熊本最古の磨崖仏? 円台寺の跡の山裾の崖に、石仏が彫られている。 鎌倉中期の制作といわれている阿弥陀三尊像と阿弥陀如来坐像などは熊本県の重要文化財に指定されています。 結構いたずらが多くて損傷が激しくなってきているようだ […]
菱形の池(熊本市北区)
菱形の池は円台寺地区にある湧水。 みたまんま、菱形の形をした池。欽明天皇の時代、八幡神がこの池に出現し、自らが応神天皇の生まれ変わりであることを告げたという伝説や、神功皇后が應神天皇を出産するときの産湯につかったなどの伝 […]
山田日吉神社|山田の藤(玉名市)
山田日吉神社 について 推定樹齢200年の「山田の藤」で有名な山田日吉神社。東西12m南北10mにも及ぶ。他の藤とともに立派な藤棚をも拵える。赤松久右衛門という人物が育てたのだとか。 4月中旬から5月の連休辺りまでは藤を […]
重富菅原神社(東区)
重富菅原神社 について 東区画図町大字重富にご鎮座。重富は古くからある地名。荘園とかの名前で藤原氏とも関連がありそうだ。重富さんという名字の起源にもなっている。 そんな重富にいつの頃かご鎮座している、菅原神社。詳しい方に […]
遠山神社 (山鹿市)
白川の井出を造り農業面積を飛躍的に拡大させた加藤清正、白糸台地に通潤橋を架け水を届けた布田保之助と同じように、農民に欠かせない水を管理することで神にとなった男が遠山弥二兵衛である。遠山神社は彼を祀っている。
清瀧神社 - 山鹿城跡(山鹿市)
山鹿市の中心部の散策は風情を味わうことが出来て非常に楽しい。ちょっとスナック多すぎな印象がまた旅情を募らせる。 さてこの中心部の銭湯・さくらの湯の南方200mくらいのところにひっそりと佇む神社・城跡。これもスナックとかお […]
八咫烏神社(熊本市)
八咫烏神社 について 今やサッカーの日本代表のユニフォームのデザインとして勇名を馳せる三本足の烏・八咫烏。実は神話伝承の時代に神武東征で神武天皇を熊野国から大和国へ道案内したと伝わる。結果導きの神様として信仰されている。 […]
妙見神社(熊本市東区健軍町)
について もともとあった場所から平成28年熊本地震の影響だろうか。ご遷座なさったようだ。 おそらく水などにまつわる神社だろうと思うが、詳細どころか概要もわからず。現在調査中。 神社 へのアクセス 所在地〒862-0911 […]
下江津菅原神社 (熊本市)
下江津菅原神社 について 下江津の江津塘から少し木部川方面に脱線したところにご鎮座。程よい広さの境内が住宅地の密集感を緩和してくれる。下記由来にて詳細は説明するが、室町の頃から健軍神社の社領だった下江津は、健軍神社の「今 […]
上無田松尾神社(熊本市)
上無田松尾神社 について 神社建築の概念がぶっ飛んだ神社なので、ぜひ一度参拝してほしい。 拝殿は古代のギリシアやローマの神殿のような造りで、幣殿・本殿は伝統的な神社建築の趣が強い。不思議ではあるがそれなりに調和が取れてい […]
崎津諏訪神社(天草市)
崎津教会や集落を一望できる高台に鎮座する神社。この神社から眺める港の風景は、ただそれだけで一見の価値がある。なんとなく人々の営みを感じる。創建は正保4年(1647年)と云われている。島原の乱鎮圧から10年近く経ってからの創建となる。
小池水源(南阿蘇村)
小池ですが、結構大きな池だと思う。水がこんこんと湧き流れてゆく音と南郷谷の風景は本当に贅沢。 平成の名水100選に選ばれた南阿蘇村湧水群のひとつ。 毎分13トンの湧水量をホコル。 小池水源公園 アクセス 所在地〒869- […]
小一領神社 (山都町)
恋一路神社 とも呼ばれる。もともとは 柳本大明神 というお社だったいう。
阿蘇惟将 が 御船房行 の謀反鎮圧の戦いに出陣するときに「小さなの鎧一領」を出陣式の必勝祈願として奉納した。
この戦いに見事勝利した惟将は、社殿を造営し、社号を「小一領大明神」と改称されたとか。
下鶴眼鏡橋(御船町)
緑川の支流・八勢川に架かる眼鏡橋。熊本を代表する名石工・橋本勘五郎・弥熊 親子の手によるものだ。明治15年から19年まで実に4年の歳月を費やして、架橋された。橋マニアでなくても魅力を感じることができるので、ドライブの休憩などで足を止めて楽しんでほしいところだ。
厳嶌神社(宇土市)
住吉中学校の裏手の山際に佇む神社、その歴史は詳らかではないが、加藤清正公が肥後の主となった頃にはすでにあったとされている。
小さな神社だが、なかなか趣深い神社だった。
粟嶋神社 (宇土市)
粟嶋神社 は日本一小さな鳥居などで人気の神社。宇土市新開町にご鎮座。新開というくらいなので、干拓地またはその隣接地なのだろう。 寛永10年(西暦1633年)創建、400年近くの歴史を刻んでいる。 合格祈願やお雛様などのイメージが強い。 詳細がわからないので今後調べていきたい。情報提供もお願いします。
若宮神社 (富合町小岩瀬)
若宮(わかみや)さんとも呼ばれるこの神社は、建久8年(1197年)河尻三郎源実明が、鎌倉の鶴岡八幡宮の御分霊を勧請したのが始まり。 時代が下って天正15年(1587年)に河尻神宮として緑川・加勢川の北に移った。 つまり、 […]
須屋城 跡(合志市須屋字下屋敷)
須屋城 は新須屋駅から近くにある須屋氏築城の南北朝時代のお城ということだが、戦国期は合志氏の出城だったとも伝わるそうだ。城址として名残を感じるものはあまりないけども、観音堂や石廟などで往時を偲ぶのも悪くない。 須屋城 跡 […]
海のピラミッド - 三角港フェリーターミナル
海のピラミッド の相性で親しまれている、三角港のシンボル。正式には 三角港フェリーターミナル という建物。 巻貝を模した螺旋の構造は見ていて面白い。建物内外の螺旋階段は、子どもたちにとっては恰好の遊び場であり、大人たちの […]
上御倉古墳・下御倉古墳
上御倉古墳 下御倉古墳 は、阿蘇國造神社 の境内に隣接したところにある。 阿蘇國造である速瓶玉命とその妃宮の雨宮媛命の奥津城(お墓)と言われている。 下御倉古墳は下御蔵古墳と書かれている資料もある。 案内板 上御倉古墳 […]
貝洲加藤神社(八代市鏡町)
貝洲加藤神社 に参拝した。実は宮司さんと禰宜さんがこの神社について丁寧に説明してくださった。被写体さんとこの神社と八代の干拓の歴史を学びながら、この神社の創建に纏わる、関係者の想いなどに思いを馳せる。実際の写真などを使って紹介するので、皆さんのお出かけの参考になれば幸い。
手野金刀比羅神社(阿蘇市一の宮町手野 )
勘違いだと思うが、苔むした石畳の参道から、祠のような神殿を拝むと、その向こう側に山頂が見える。
その佇まいにとにかく感動したことを数年たった今でも覚えている。