小一領神社 (山都町)
小一領神社
koiichiro shrine
恋一路神社 とも呼ばれる。もともとは 柳本大明神 というお社だったいう。
阿蘇惟将 が 御船房行 の謀反鎮圧の戦いに出陣するときに「小さなの鎧一領」を出陣式の必勝祈願として奉納した。
この戦いに見事勝利した惟将は、社殿を造営し、社号を「小一領大明神」と改称されたとか。
ギャラリー
参道は山都町のメインストリートに面していて、やまと文化の森や商店が立ち並んでいる。田舎ではあるので賑やかとまでは言い切れないが、なんとなくノスタルジックな町並みはお散歩するのにおすすめではある。
神社 の 参道
神社 の 鳥居
神社 の 拝殿・本殿
神社 の 狛犬
神社 の 摂社・末社
その他
神社 の 歴史・由緒
創建:實仁二年(1018)柳本大明神
阿蘇友仲 によって宮原(浜町)に阿蘇神社の末社として創建されたと伝わる。当初の社号は柳本大明神。
阿蘇家は伝説の時代から続く阿蘇の国造であり、友仲は21代目の阿蘇國造であり第2代阿蘇大宮司である。
改称:小一領大明神
時代は下り、阿蘇の大宮司家は戦国大名としても肥後を席捲。
天文五年(1536)大宮司の阿蘇惟豊は嫡男の千寿丸(後の惟将)を17歳で初陣しかも総大将に任じ、御船城主・御船房行の謀反鎮圧に向かわせた。数千の軍勢を率いた出陣式(11月10日)、「柳本大明神」で戦勝を祈願して、「小型の鎧一領」を奉納したそうだ。
結果、甲斐宗運(家老)などのサポートで以て快勝を得たしたものだから、惟豊は「柳本大明神」のご加護に感謝して、社殿を造営。80町を社領として寄付した上に、社号を「小一領大明神」と改称した。
ここに小一領神社として新たな歴史を歩み始める。
受難の時代
一時期は肥後半国は阿蘇大宮司家の手中にあったが、薩摩の島津軍の攻勢は激しくこのエリアを奪われる。
豊臣秀吉の九州征伐によって島津は追い払われるが、佐々成政が領主となったり、小西行長が領主となったりする。
小西行長はキリシタン大名だっため、家臣だった結城弥平次によって焼き払われたと伝わる。この時期は小一領神社受難の時期だったようだ。
現在に至るまで
その後、加藤清正が国主になると、清正公に任命された、井出 玄蕃充 政次(大庄屋)によって、元和7年(1621)に現在地に再建された。
小一領神社 の 御祭神
本殿・拝殿の画像と神様の話
神社へのアクセス
- 所在地
〒861-3518 熊本県上益城郡山都町浜町 - 駐車場
あり