厳嶌神社(宇土市)

厳嶌神社

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住吉中学校の裏手の山際に佇む神社、その歴史は詳らかではないが、加藤清正公が肥後の主となった頃にはすでにあったとされている。
小さな神社だが、なかなか趣深い神社だった。

ギャラリー

厳嶌神社の前には参道は遺っておらず、狛犬や燈籠なども見当たらなかった。山際にご鎮座するので、石垣で固められている。

厳嶌神社 の 鳥居

明神鳥居だが、ほんの少し横幅が広い気がするのと、苔むした味わい深さが良かった。扁額には「嶋」とあるが、Google Mapには「嶌」で登録されている。

神社 の 拝殿・本殿

本殿へのアプローチは細い石段。素朴な作りと両脇の植え込みに和む。朱色の屋根を持つ本殿は素朴だが、良い姿をしている。

神社 の 摂社・末社

掲題には菅原神社と稲荷神社あるが、菅原神社は写真を撮り忘れ、稲荷神社は別の入口から山道を登る必要があるため断念した。

神社 の 歴史・由緒

現在の宇土市笹原町は、慶長十年(1605)頃 に作成された「慶長国絵図」を見ると榛原村(693石余)と表現されていて、加藤清正が肥後国を統治した頃にはすでにあったと考えられる。

江戸時代の地誌「肥後国誌」の篠原(笹原)村の記事には、「才天堂、祭十月中ノ日合殿ニ天神宮ヲ祀ル」と書かれていて、現在は、厳島神社・菅原神社・水神、さらに山の上の神社からなって いる。これらの創建の時期は、はっきりしていないが、笹原の集落ができた頃であろう。

明治初めの神仏分離政策によって、本尊の弁才天は、神社の姫神 市杵島姫として祀られ、弁才天堂は神道的な神社に改められ、厳島神社と呼ぶようになった。

弁財天はインドの河の神が仏教に取り込まれたもので、水の神・ 音楽の神としての性格を持っている。弁才天は、農業神として川 や池など水辺に祀られることが多い。 のち七福神の一人としてあ がめられ、弁財天と書かれるようになった。デパートの屋上など商業施設に祀られているのは、福の神としての弁財天である。

現在、厳島神社(弁才天堂)内には、白い風に乗った荼吉尼天が祀られている。(茶吉尼天)は弁才天と同一神として扱われたりもする。 これは稲荷大明神(宇迦之御霊)の仏教的な姿で、農業神であり、山の上の稲荷神社にあったものが移されたのかもしれない。
境内では毎年11月に亥の子祭り(旧暦10月の亥の日に行われる農作物の豊作を田の神に感謝する収穫祭)が、五穀豊穣と子孫繁栄を祈り開催される。(一般に江戸時代には最初の亥の日は武士、第二の亥の日は農民、第三の日は商人が祝う日とされた。)

菅原神社の祭神の天神はもともと天の神 (雷神であるが、菅原道真公が大宰府で死んだ後、京都に雷火による災害が多く発生したので、雷神を道真公のと考えるようになった。この集落の大太鼓(あくしゃ丸、胴回り約五メートル)は、この神社で の雨乞いに使われたのであろう。
ここの神社には、もとの農業神として性格を強く残した神々が大切に祀られていて、創立の古さが感じられる。

平成21年11月14日建立笹原区(辺田・潟)

神社 の 御祭神

市杵島姫(神仏分離前は弁才天)

菅原道真公(もともとは雷神としての天神さま)

宇迦之御魂神?

神社 の 祭事

不明

神社 へのアクセス

  • 所在地
    熊本県宇土市笹原町
  • 駐車場
    なし