
山田日吉神社 について
推定樹齢200年の「山田の藤」で有名な山田日吉神社。東西12m南北10mにも及ぶ。他の藤とともに立派な藤棚をも拵える。赤松久右衛門という人物が育てたのだとか。
4月中旬から5月の連休辺りまでは藤を愛でる参拝客で賑わう。
藤の花は漫画・アニメで人気の「鬼滅の刃」で鬼が嫌うお花だったね。
山田日吉神社へのアクセス
- 交通
JR玉名駅からレンタルサイクル? - 所在地
〒865-0066 熊本県玉名市山田1番地 - 駐車場
乗用車で20台位は停められそう
山田日吉神社の由来
山田日吉神社は、山王信仰の総本山である比叡山の日吉神社を起源とし、大山咋神を祭る神社です。平安時代に天台宗の延暦寺が開かれると神仏習合が進み、全国に広まりました。本殿には大山咋神、西の相殿には白山比売神が祀られ、集落内には延暦寺の末寺・吉祥寺もあります。お堂や石塔が多く、天台宗の拠点的な地域だったと考えられ、「玉名の比叡山」とも呼べる聖域だったと思われます。
山田日吉神社の由来書に曰く
鎮座地名:熊本県玉名市大字山田字上馬場一番地(現在の住所と違う)
神社名:山田日吉神社
祭神:大山咋神|相殿・白山此賣神
勧請の年:和銅元年(西暦708年)
社記に依れば、当社は奈良時代のすぐ前、四十三代 元明天皇の和銅元年(708)の創立で、その後 小松内府 平重盛が、肥後の国に建立した七社の一つとされる。祭田は2百余町歩あり、社殿は壮麗、祭祀も盛大であった。しかし、戦国争乱の時代となって、本社は火災にあい、祭田も失い、衰微していった。肥後藩主 加藤清正の子忠広の時、寛永7年(1630)に至り、社殿を再興した。以後二度の改築を経て、現在の拝殿は天保元年(1830)に改築し、神殿、幣殿は明治13年(1880)に増築したものである
例日:4月4日
平成6年1月吉日 還暦記念
詳細:元明天皇・加藤清正・加藤広忠・平重盛
御祭神とご利益
なんの神様
大山咋神
白山此賣神
祭事
どんなお祭りがあるのかな?
4月4日
御朱印
御朱印の有無・対応時間など
山田日吉神社の見どころ
神社に参拝したら是非チェックしてほしいポイント








山田の藤
説明板から文字を起こした
熊本県指定天然記念物:山田の藤
指定年月日 四十年二月二十五日
このフジは「山田の藤」と呼ばれ、山田日吉神社境内の心字池の中洲に生えている。このフジは、学をもって知られた山田の赤松助次郎の次男九石街門が、江戸時代( 文化年間)に坂下村(南関町)の寺から苗を譲り受け献納植栽したものと伝えられ、樹齢は約二百年と推定されている。
幹囲は地上的六〇センチで約二・五メートルあり、そこから二本の幹に分かれている。幹囲はそれぞれ一・四メートルと一・一メートルを測り、校張りは東西一ニメートル南北一〇メートルに及ぶ。
花は四月中旬から五月上旬ごろに開花する。きれいな紫色の花房は一メートル以上に及ぶ見事なもので、満開の際には芳香があたり一面に漂う。
このフジは昭和五八年(一九八三)に一時花を付けなくなったが、地元有志により「山田の藤保存会」が結成され行き届いた手入れにより再び綺麗な花を咲かせるようになった。
その後、鳥居から社殿までの参道に藤が増設された。花の咲く時期には、遠近からの多くの見物客でにぎわいを見せる。
「山田の藤」は、熊本県下で最も著名かつ最大のフジとして知られ、熊本県の自然を記念するものとして昭和四十年、熊本県指定天然記念物に指定された。
平成二十二年一月玉名市教育委員会










山田日吉神社の沿革
年月 | 出来事 |
---|---|
和銅元年(708) | 勧請 |
寛永7年(1630) | 加藤広忠により社殿を再興 |
天保元年(1830) | 拝殿改築 |
明治13年(1880) | 神殿、幣殿を増築 |
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参考サイト
山田日吉神社,玉名市
山田の藤(やまだのふじ)玉名市,熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト