

旧 山鹿高校(高等女学校)正門跡は山鹿市交流センターへ続く坂道にあります。山鹿交流センターに学校があったのでしょう。
どんな学校があったのか、この説明板を要約すると、
山鹿高等女学校・山鹿高等学校跡地
1912年に設立された山鹿高等女学校は、1923年に県立となりました 。戦後の学制改革で熊本県立山鹿高等学校となり男女共学を実施、文武両道の校風で知られ、多くの人材を輩出しました 。
1968年に熊本県立鹿本高等学校と統合され、その歴史に幕を閉じました 。2015年10月、同窓会と山鹿市により、生徒たちが通った「思い出の坂」の一部が保存されたことを記念し、その歴史を永遠に刻むための銘板が設置されました 。
ちなみに、原文の文字起こしはこちら
この坂から北東に広がるこの地は、山鹿高等女学校、山鹿高等学校の跡地になります。
一九一二(明治四十五)年三月、熊本県鹿本郡山町外十七町村学校組合立山鹿高等女学校が設置されました。
一九二三(大正十二)年三月、県に移管され、熊本県立山鹿高等女学校となりました。
良妻賢母の育成を図る、地域の女性の憧れの学舎でした。
第二次大戦後の学制改革により、一九四六(昭和二十三)年四月、熊本県立山鹿高等学校となり、翌年には男女共学が実施されました。
自由闊達な教育環境の中、柔道・水泳・ダンス・考古学など、優れた実績をもつ部活動が盛んとなり、文武両道の風が醸成され、その名は全国に轟きました。
数多の人材を輩出し、地域・日本の宝ともいうべき学校でした。
一九六八(昭和四十三)年四月、熊本県立鹿本高等学校(通称:旧鹿本高校、現在の山鹿市鹿本町御幸4312)と統合され、両校の普通科は熊本県立鹿本高等学校として、新しい校地(現・山鹿市鹿本351)で発展しています。
高女・山高の若き学徒は、枠を仰ぎ見てこの坂を上り、多くの思い出を胸に旅立っていきました。
今回、思い出の坂の保存が一部行われましたので、この地に銘板を立て、その名を永遠に刻みます。
二〇一五(平成二十七)年十月二十三日
熊本県立鹿本高等学校同窓会
山鹿市
へのアクセス
- 交通
産交バス 山鹿市役所前 停留所至近 - 所在地
熊本県山鹿市山鹿1019−2 - 駐車場
市役所の駐車場が空いていれば使えそう