猿田彦群
猿田彦群

猿田彦大神 と 庚申信仰 には深い関係があったよ、という話です。

あるいは、猿田彦大神の石碑の秘密に迫る!そんな話です。

前置きとして、熊本だけかどうかはわからないが、大宮神社(山鹿市)を始めとして、いろんな神社で「猿田彦大神」を見かける。

それどころか、路傍に佇む「猿田彦大神」もよく見かける。猿田彦大神には、一体どういう意味があるのだろうか?

いろいろ調べてみたら「庚申信仰」に辿り着いたので自分なりにまとめてみました。

庚申信仰 に由来する 猿田彦大神

渡しの場合だが、猿田彦というワードで最初に思いつくのは、道案内の神様として「猿田彦命」だった。三重県には伊勢神宮の直ぐ側に「猿田彦神社」もある。

三重県の猿田彦神社は伊勢神宮のそばにあり、その名の通り 猿田彦命 を祀っている。猿田彦命 は日本書紀の瓊々杵命の天孫降臨のときに、道案内をした国津神として有名です。

しかし、熊本で暮らしていると、「猿田彦大明神」と書かれた石碑を散見する。いや道端にもある。道端のものは「道案内」目的のものも少なくなさそうだが、神社にある猿田彦大明神とはいったいどういうものなのだろうか。

庚申信仰とは

庚申信仰 というのは道教由来の考え方で、十干十二支の組み合わせで60日に一度めぐってくる庚申の日にアタマ・ハラ・アシにいる虫(三尸の虫)がカラダを抜けて、天帝(閻魔大王のような存在)にその人の悪事を告げるという言い伝えに対し、庚申の日の夜は寝ずに「庚申待ち・庚申講」と呼ばれる集まりを開く風習があったんだとか。

つまり、日頃の行いを改めるのではなく、告げ口を防ぐということで解決するところが人間味でしょうかね。

庚申待はオールの飲み会

庚申待の儀式は地域によって違うようですが、読経するとか、おしゃべりし続けるとか、青面金剛に勤行するとかいろいろあるようです。

でも、本当は、オールで飲み会してたんじゃないかと言う説が個人的には響くなぁ。

庚申信仰と猿田彦大明神の関係

庚申の日(かのえのさる)は60日に1回やってくるので、これを一定の期間続けると記念に、「庚申塚」を建てるんだとか。

地域によって異なりますが、2ヶ月に一回これを行い、さらに3年続けて18回庚申講をおこなった記念として、「庚申塔」を建てたのそうです。さらにだいたい「塚」に建てられることが多かったので、「庚申塚」と呼ばれることもあります。

猿田彦大神 と 庚申信仰

これと猿田彦大神と何の関係があるのかと思ったんですが、庚申の申はサルであることから、仏教では見ざる言わざる聞かざるの三猿を供養塔としたそうです。

明治時代になると、廃仏毀釈とか「神道」重視の時代を迎えるわけです。
お寺だって潰される時代だから、路傍の庚申供養塔も「処分」されそうになるんですね。
慌てた民衆は、サルを猿田彦のサルにこじつけて、さらに、神社の境内に運び込んで、道教と仏教由来のこの石碑を、神道のものとして遺すということも遭ったようです。

これって日本人らしい屁理屈で、個人的には結構好きな経緯です。
もちろん、ネット検索で集めた情報だけでは信憑性に不安がありますけどね。

猿田彦大神 は夜遊びの証?

つまり、妄想的ではありますが、この話を突き詰めていくと「庚申講」は60日に一回、近隣住民が集まって、しばらくは真面目に念仏してるんだけど、朝までなんてやってられないから、宴会をメインの楽しみにしてたのではないかと思うんですよね。

古いかもしれませんが、ノミニケーションが好きな日本人は、こういう理由をこじつけて、集落の将来を語り合ったりすることができたんじゃないかと思うわけです。

猿田彦大神 の数は、民衆の信仰心の厚さと飲んだくれぶりのバロメーターと言えるでしょう(笑)

熊本県の神社を現在調査中ですが、山鹿市内は猿田彦の石碑の数が多い気がします。
千代の園なんて造り酒屋もあるので、お酒に目がないのでしょうかねぇ。

大宮神社稲荷神社宗方八幡神社東原稲荷神社桑坂神社など、猿田彦大神の石碑が多数あって非常に気になります。

猿田彦大明神と庚申塚と道祖神

また猿田彦大明神と庚申塚と似た感じのものに道祖神というがある。これらの違いを簡単にまとめると以下の通り。

項目道祖神庚申塚猿田彦大明神
主な役割道・境界を守る庚申信仰のシンボル道を開き導く
背景民間信仰・神道道教+仏教+民間信仰神道(天孫降臨神話)
男女の像 or 「道祖神」石碑「庚申塔」 or 青面金剛+三猿の像「猿田彦大神」の石碑 or 祠
よくある場所村の入口、道の分岐点村の集会所、街道沿い街道沿い、村の入口
特徴厄除け・子孫繁栄・旅の安全60日に一度の庚申待の信仰旅人や人々を導く道の神