北岡神社(熊本市西区)
北岡神社 について
北岡神社 は1000年以上の歴史をもつ、熊本市内でも有数の由緒正しき神社。京都を懐かしんで「祇園宮」などと読んでいた。今でも祇園橋・祇園祭とその名残がある。実際に北岡神社という名前になったのは、明治時代に入ってから。創建から三度の遷座が行われ、そのたびに、摂社とか末社とかを吸収してして大きくなったんじゃないのか説が急浮上。さぁ、長い歴史の北岡神社を写真などをつかって紹介するよ。
北岡神社 の概要
北岡神社 の 歴史
由緒書を書きが読みづらかったので公式HPより引用。
平安時代中期
承平四年(934)第六十一代 朱雀天皇の御代に、武勇名高い藤原保昌が肥後国司として下向された際、凶徒の叛乱と疫病の流行を鎮めるために京都の祇園社(八坂神社)の御分霊を勧請し、飽託郡湯原(現二本木五丁目)に府中の鎮護として創建されたのが始まりとされ、当地でも祇園社、祇園宮と尊称されていました。(実際に藤原保昌が着任したのはこれより20年以上後のことなので、史実は謎)
まもなく承平七年(937)には、湯原から程近い車屋敷(現・二本木二丁目)に遷座され、京よりお供して来た神官・僧侶・伶人等もこの神域に居住していました。
天慶九年(939)から冷泉天皇の頃まで年毎の祭祀の際には、勅使が遥々京より勅願社であった当神社に参向されるのが恒例でありました。肥後国誌によると安和二年(969)からは国司となった菅原光家が勅使も兼勤するようになってこの地に留まり、その末裔である光永家が代々に亘り勅使代としてその任に就くようになりました。勅願社というのは、天皇が国家鎮護などを祈願するよう命じた神社のことをさし、当神社は創建当初から『宝祚無窮、天下泰平、国家安全、悪魔降伏、西九守護』の勅願社として、代々天皇より篤く尊崇されておりました。
御朱印の由緒
天暦二年(948)に第六十二代 村上天皇より「拝三山」の勅額を賜りました。久寿二年(1155)にも第七十六代 近衛天皇より「顕神院」の勅額とともに、「日本第弐 西九壹社」の尊称と御紋章を下賜頂きました。それは「日本では(京都の御本社に次いで)第二の祇園社であり、西の九州では第一の祇園社である」との意味であり、現在もこの尊称を御朱印に用いております。また、御紋章は祇園木瓜を上下にわかち、その上半分を賜った当神社特有のものであります。
天元二年(979)朝日山(岡見山)に遷座、これに因み祇園山と呼ばれるようになりました。この山は明治になり招魂社建立に伴い花岡山と改められましたが、今日でもその山頂一帯を祇園平と呼ぶ名残があります。
この間火災等で社殿及び綸旨や古文書等が焼失する災難が幾度かありましたが、長承元年(1132)に菊池氏が社殿を造営し、神領も寄進され神威を取り戻しました。
戦国の世から明治まで
戦国の世、天正十五年(1587)佐々成政支配下の際には、古例を廃し神領も断絶されましたが、江戸時代に入り慶長十年(1605)加藤清正の肥後入国により再び復興されました。細川藩下に於いては尚一層尊崇され、島原出陣の際には戦勝祈願を厳修し、寛永九年(1632)には社殿が新たに造営されました。正保四年(1647)、第二代藩主 細川光尚により北岡の森(現在地)に遷座され、古府中にあった社等も境内に移し摂末社として祀られました。この地は古くより古府中から北に位置する丘陵地として北岡と呼ばれ、方位的にも尊ばれていた場所でもあります。
維新後の明治元年(1868)には神仏分離の流れを受けて「北岡宮」、同四年に「北岡神社」と改称し、翌五年に県社に列せられました。
同十年(1877)の西南の役では、一時薩摩軍の本営が境内に置かれ、同十七年(1884)御鎮座九百五十年祭記念事業として丘上を拓き社殿を丘中腹から移し摂末社と共に丘上に御遷座されました。
久邇宮朝融王殿下御参拝
昭和八年(1933)四月には御鎮座一千年を向かえるにあたって、久邇宮殿下より直筆の御神額を賜り、御参列を仰ぎ同式年大祭が斎行され、翌九年(1934)十一月に御社殿が新造され御遷座記念大祭が執行されました。
同三十三年(1958)御鎮座一千二十五年記念に神楽殿を新造し、同五十八年(1983)に御鎮座一千五十年記念事業として拝殿や楼門を改修し、社務所や会館等を新築しました。
御祭神
素戔嗚尊
奇稲田姫 命
八柱御子神
- 天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)
- 天穂日命 (あめのほひのみこと)
- 天津日子根命 (あまつひこねのみこと)
- 活津日子根命 (いくつひこねのみこと)
- 熊野久須毘命 (くまのくすびのみこと)
- 多紀理毘売命 (たきりびめのみこと)
- 市杵島比売命 (いちきしまひめのみこと)
- 多岐都比売命 (たきつひめのみこと)
祭事
1月1日 | 歳旦歳(初詣) | 新年を寿ぎ、皇室の繁栄、国家と国民の隆昌を祈願する神事。 |
---|---|---|
1月2日 | 新年二日祭 | 新しい年の、氏子崇敬者の安泰と家業の繁栄を祈願する神事。 |
1月3日 | 元始祭 | 天皇の位の元始を寿ぎ、物事の始まりとしての神事。 |
1月4日 | 鎮火祭 | 一年の火の災いを鎮める神事。 |
1月5日 | 松囃子神事(御能) | 新年に仕舞を奉納する御能の舞い始めの祭事。 |
1月14日 | 古神札焼納祭 | 古い御神札や御守などをお焚き上げする行事。 |
2月11日 | 建国祭(紀元節) | 神武天皇の即位の日に、我が国の建国を祝う祭事。 |
2月17日 | 祈年祭 | 一年の五穀豊穣を祈る神事。 |
4月中旬 | 春季祭(つつじ祭) | 御神木の楠若葉をいつくしみ、献木されたつつじを神様と共に観賞する祭事。 |
6月1日 | 年祝い(厄入・還暦等) | 厄入・厄晴や還暦などの年祝いの参拝が行われる。 |
6月30日 | 大祓式(芽の輪くぐり) | 半年間に身に付いた罪や穢を祓い、後半の無病息災を願う神事。 |
7月29日 | 塩湯取神事 | 例大祭を前に潔斎し、お清めに用いる塩水を取りに行く行事。 |
8月1日~3日 | 例大祭(祇園会) | 年に一度の神社に特別の由緒がある最も重要な祭礼行事。 |
11月15日 | 七五三詣り | これまでの無事育成を感謝し、今後の健やかな成長を祈る。 |
11月23日 | 新嘗祭 | 新穀を供え五穀豊穣に感謝する収穫の祭事。 |
12月13日 | 煤払神事 | 新年を迎える前に、御社殿の煤を払い去る行事。 |
12月31日 | 大祓式・除夜祭 | 半の半年間の罪や穢を祓う年越しの神事。 |
北岡神社 の 本殿と拝殿
昭和8年(1933)に改築された本殿・拝殿。
摂末社
摂社:京国司神社
藤原保昌御霊・比売神をお祀りしている。史実は怪しいけど、北岡神社を創建したという伝承に基づき、天禄3年(972)、二本木に勧請。治安元年(1021)再興・天文年間に荒廃・め歴元年に建立?正徳3年に遷座
末社:稲荷神社
宇迦之御魂大神をお祭りしている。五穀豊穣や商売繁盛の神様。勧請年代不明だが、春日町の久松神社に祀られていたものを昭和49年(1974)に遷座する。
末社:宮地嶽神社
息長足比売命(神功皇后)・勝村大神(藤之高麿)・勝頼大神(藤之助麿)をお祀りしている。福徳円満・交通安全の御神徳が期待できる。昭和29年(1954)に福岡県の宮地嶽神社より勧請した。
末社:護町神社
事代主神・比売神をお祀りしておる。国家安泰・開運招福の御神徳。
寛治元年(1087)古府中護町小路に勧請した。
寛文七年(1667)に再興された。正徳四年(1713)五月に小祠を建立した。
末社:新宮神社
伊弉冉尊をお祀りしている。神社創建早々の937年に古府中湯原に勧請されている。1672年に再興され、正徳3年(1713)2月に小祠を建立し寄進されたそうだ。
御祭神の母宮だから早々にお祭りされたんだね。
末社:菅原神社
菅原道真公をお祀りしている。学問の神様として有名。
いつ頃か不明だが、米屋町2丁目に遷座された。
末社:久末神社
健磐龍命、菅原道眞公、宇迦之御魂大神をお祀りしている。当然、五穀豊穣・学業成就・商売繁盛と御神徳もごちゃまぜ。勧請年代も不明だが、御神体?に1667年にご鎮座と書かれている。
昭和52年に春日久松から遷座。
北岡神社 の 見どころ
楼門
1983年にご鎮座1050周年事業の一環として、改修されている。
どっしりとした楼門は美しく。石階段を登る参拝客の目を愉しませる。
薩軍本営の跡
西南戦争(明治10年2月23日)、高台にあったので薩軍の本営が置かれていたそうだ。
光永勅使の家を利用したということでいいのかな?
ここにテキストが入
神社 のギャラリー
北岡神社 沿革
年月 | 出来事 |
---|---|
934年(承平4年) | 創建:祇園宮/現在の二本木5丁目/藤原保昌説は間違い |
937年(承平7年) | 遷座:二本木二丁目(車屋敷) 末社:新宮神社 勧請 |
972年(天禄3年) | 摂社:創建・京国司神社(藤原保昌を祀るが時代が合わない) |
979年(天元2年) | 遷座:朝日山(現・花岡山) |
1000年代 | 摂社創建(不詳):清原神社 (予想) |
1021年(治安元年) | 摂社:京国司神社を境内に遷座 |
1087年(完治元年) | 末社:護町神社 古府中・護町に勧請される |
1154年(久寿二年) | 近衛天皇より、顕神院としての勅額を下賜される |
1600年代 | 加藤清正公により復興 |
1647年(正保4年) | 細川家により現在地に遷座 |
1672年(寛文12年) | 末社:新宮神社 再興 |
1713年(正徳3年)2月 | 末社:新宮神社 小祠建立 |
1868年(明治元年) | 北岡宮と改める |
1872年(明治4年) | 北岡神社に改称 |
1877年(明治10年) | 西南戦争:薩軍本営になる |
1954年(昭和29年) | 末社:宮地嶽神社 福岡県より勧請 |
1974年(昭和49年) | 末社:稲荷神社を春日町久末神社より遷座 |
1977年(昭和52年) | 末社:久末神社 遷座(春日町久末から) |
年月 | 出来事 |
北岡神社 へのアクセス
- 交通
JR熊本駅から徒歩6分
熊本市電:熊本駅前・祇園橋から徒歩数分
産交バス:春日一丁目から数分
産交バス・熊本都市バス・熊本電鉄・熊本バス;北岡神社前から数分 - 所在地
熊本市西区春日1丁目8-16 - 駐車場
けっこうたくさんある