健軍神社(熊本市)

健軍神社 1450年以上の歴史を持つ神社
健軍神社 熊本市内でも屈指の有名な神社。
長い参道と立派な随神門、横長の二の鳥居が参拝客を魅了します。
初詣の参拝客もとても多いことで有名。
また健軍神社の境内はフォトジェニックな場所なので、結婚式や成人式の前撮りなどでも人気です。
個人的には立派な楼門(随神門)から、出水方面に伸びる長い参道を眺めるのが結構好きなんです。
健軍神社 は熊本市内最古かつ阿蘇四社のひとつ
熊本市内で最古の神社 だとか。
社伝によれば欽明天皇19年(558年)に 阿蘇神社 の大宮司が同神社を勧請して創祀し、異賊征伐の為に社号を「健軍」と称したといい、後に阿蘇四社の一として阿蘇神社の別宮とされたそうです。
一方で伝承の話だと、崇神天皇のころ益城の有力な豪族「土蜘蛛」が背くものだから、「健緒組」という神様に命じて討伐させたんだとか。
健緒組はそのお手柄に対して、火の君の姓を賜ったとさ。
この神様は、多氏の始祖などと兄弟と言われているので、この健緒組は有力な一族だったのかもしれませんね。
初期は「健軍宮(たけみやぐう)」や健軍村竹宮(たけみや)と呼ばれ、または十二社大明神とも称せられて、健軍荘(たけみやしょう)の産土神として祀られていたそうです。
明治6年(1873年)に郷社に列し、昭和以降「たけみや」が「けんぐん」と音読されるようになり、地域名も託麻郡健軍村から熊本市東区健軍町となった。
まさにこの地域の基礎とも言える神社といえます。
健軍神社 の 御由緒
案内板には「欽明天皇十九年勧請の由来は、阿蘇神社神事祭祀執行の折々国司(藤原法昌)阿蘇神社へ供え物等運送するに夏は洪水旱魃、冬は、雪霜早く降りて五穀不熟を憐れみ、或る年冬十二月十三日国司阿蘇宮参詣の時此の原にて俄の大雪道路を塞ぎて進退に迫り椎の樹下に野陣を張り遥拝して国司心底に阿蘇大神を勧請し老弱者阿蘇参詣の労を救えればと念願なるに五更の頃に至り三歳ぐらいの童子忽然として石上に現れ国司に向かい「汝阿蘇大神を尊信し二心なく厳寒積雪を厭はず此に来たりあまるに衆人遠路の労を憐れみ大神を此の地に勧請せんと欲ふ神明何そ感応せさらんや宜くこの所に勧請すべし、然るに阿蘇宮は皇城鎮護の為東に向かい当社は夷賊新羅鎮退の為西に向かい健軍と号すべし汝に託す吾則阿蘇大神也」と宜り終えて去り給ふ国司驚き感じ此由、奏聞に依って、直ちに社宇を造建し阿蘇大神の荒霊を鎮祭して健軍神社と号す。(以上文化五年の古文書より抜粋)」と書かれています。
阿蘇四社とは
阿蘇神社、健軍神社、甲佐神社、郡浦神社の四社を示します。
「阿蘇神社」が親玉で、おそらくですがその阿蘇神社の勢力拡大のなかで、健軍神社や、甲佐神社、郡浦神社、ができた様子。
軍事拠点と考えても良いかもしれない。
健軍神社 の 御祭神
健磐龍命、天御中主神、仲津彦神、仲津姫神、神渟名川耳命(綏靖天皇)、阿蘇津姫命、草部吉見神、速甕玉命、彦御子命、比咩御子命、新彦命、若比咩命、若比古命、新比売命、弥比咩命等を祀るが(天御中主神、仲津彦神、仲津姫神の3柱以外は全て阿蘇神社祭神)、もともとは境内にある国造社の神、火(肥)国造 の祖である健緒組(たけおくみ)と見る説もある。
健緒組は『肥前国風土記』や『肥後国風土記』逸文によれば景行天皇の時代に肥(火)君(ひのきみ)の姓を賜ったといい、『国造本紀』によれば崇神天皇朝に火国造に定められたという。
阿蘇十二神とは
健磐龍命、阿蘇津姫命、神渟名川耳命、国造速瓶玉命、草部吉見神、比咩御子命、彦御子命、若比咩命、新彦命、新比咩命、若彦命、濔比咩命
健軍神社 の 境内社

- 雨宮神社 – 雨宮大神
- 美和神社 – 大物主大神、三穂津姫命、事代主命、猿田彦大神
- 国造神社 – 速瓶玉命
- 日吉神社 – 大山咋命、若山咋命






健軍神社 の 御朱印

健軍神社 の 御利益
良縁祈願、学業成績、交通安全、厄除、地域守護、健康長寿
健軍神社 の 祭事
1月 1日 歳旦祭
4日 新年事始め
7日 鬼火焚き
2月 11日 建国祭
3月 15日 美和神社例祭
下旬 天社神社例祭
4月 6日 前夜祭
7日 健軍神社春季例祭
6月 30日 夏越大祓式(茅ノ輪くぐり)
8月 5日 前夜祭
7日 朝・健軍神社例祭(夏越祭)
献幣の儀
夜・肥後大神楽奉納
15日 戦歿者慰霊祭
9月 29日 雨宮神社例祭
10月 2日 国造神社例祭
14日 矢城神社例祭
15日 日吉神社
11月 1日 菊花展開催
15日 七五三・菊花展終了
23日 新嘗祭
12月 23日 天長祭(天皇誕生日)
27日 大晦日大祓式
31日 除夜祭
健軍神社 の境内・参道























健軍神社 へのアクセス
〒862-0910 熊本県熊本市東区健軍本町13−1 駐車場あり