前回の記事、 火の国 支配の変遷 ⑨「葦北と天草・南の防壁と海の道」 では、ヤマトが授けた「称号」という名の政治工作により、地元の有力者たちが盟主・火君(ひのきみ)から引き離されていく過程をお話ししました。

西暦701年、大宝律令の完成。この時期、ついに「火の国」は完全に姿を消します。それは武力による滅亡ではなく、「物語・システム・文明」という三つの巨大な網によって、独自のアイデンティティを上書きされるという、冷徹かつ鮮やかな終焉でした。

シリーズ最終回。火の国が「日本」という国家の一部、肥後国へと溶けていった最後のドラマを紐解きます。

【物語】 記紀による神話の上書き

それまで火の国の各地には、それぞれの豪族が誇る独自の「先祖の物語」や「土地の神」がいました。しかし、ヤマト王権は『古事記』『日本書紀』(記紀)を編纂することで、これらバラバラの信仰を一つの巨大な家系図に組み込みました。

阿蘇の神も、天草の海神も、記紀の物語の中では「天皇の祖先を助けた神」や「天皇に土地を譲った神」として位置づけられました。これにより、地元の神を敬えば敬うほど、自動的にその頂点に立つ「天皇」の権威を認めることになるという、逃げ場のない論理が完成したのです。「大君(盟主)」から「天皇(絶対神)」への変貌は、火の国の王たちから「交渉の余地」を完全に奪い去りました。

【抹消】 「火の国」から「肥後国」へ

支配の完成を象徴するのが、名前の変更です。ヤマトは広大な「火の国」を二つに割り、都に近い方を「肥前(ひぜん)」、遠い方を「肥後」と名付けました。

このとき、火山を象徴する「火」の文字は、瑞祥(めでたい文字)である「肥」へと書き換えられました。これは単なる漢字の変更ではありません。かつての独立した王国、そして荒ぶる火山の民としての記憶を「行政上の1ブロック」へと薄めるための、高度な情報操作でした。人々はいつしか「火の国の民」ではなく、「肥後の住人」と呼ばれるようになっていったのです。

【文明】 古墳から寺院へ、風景の統治

風景もまた、ヤマトの色に塗りつぶされました。一族の誇りであった装飾古墳の造営は厳しく制限され、代わりに推奨されたのが「仏教」という最新文明でした。

当時の仏教は、宗教であると同時に、文字、建築、暦、医学を内包した「統治のテクノロジー」でした。熊本市の「肥後国分寺」に代表される巨大な寺院の建立は、地元の豪族たちにヤマトの圧倒的な文明の差を見せつけるショールームの役割を果たしました。彼らは文明的な「役人」であり続けるために、先祖伝来の古墳文化を捨て、ヤマトが提供する仏教という共通言語を受け入れざるを得なかったのです。

【再編】 王から行政の実務者への最終変容

かつて生存戦略を競った各地の国造たちは、律令制という巨大なピラミッドの末端へと整理されました。

中央から派遣されるエリート官僚「国司」がトップに座り、地元のリーダーたちはその下で実務を担う「郡司」という役職に固定されました。かつての「火の国の王」たちは、ここにきて完全に自治権を失い、天皇の命令を地方へ伝えるための「部品」となったのです。個人的な契約に基づいた「貢納」は消え、冷徹な一律課税(租・庸・調)が土地を支配するようになりました。

新たなる旅の始まりへ

律令国家の成立とともに形作られた「火の国」。しかし、中央の統治が揺らぎ始めた時、物語は次なる舞台「肥後」へと移ります。

新シリーズ『肥後支配の歴史:分裂と統合の数百年』。 菊池氏や阿蘇氏の台頭、天草・芦北に息づく独立独歩の気風。そして戦国の荒波を経て加藤・細川氏の近世統治へ「国」から「地域」へ、幾多の勢力が火花を散らし、独自の文化を編み上げた肥後の長い旅路。現代の熊本へと繋がる熱き群像劇、いよいよ開幕です。

よくある質問

Q なぜヤマトは「火の国」の名前を二つに分けたのですか?

A かつての広大な氏族連合(火の国連合)としてのまとまりを断絶し、管理しやすい行政単位に再編するためです。「肥前・肥後」という事務的な名前にすることで、独立国家としての記憶を消し去る狙いがありました。

Q 当時のリーダーたちは、郡司(ぐんじ)という役職をどう思っていたのでしょうか?

A 「王」としての独立性を失った悲哀はあったはずですが、一方でヤマトの官位を授かり、その地位を世襲することで、地元での支配力を安定させるという実利も選択しました。彼らは生き残るために、プライドよりも「制度の中での安定」を選んだのです。

Q 装飾古墳がこの時期に消えてしまったのはなぜですか?

A ヤマト王権が「薄葬令」などを通じて巨大な古墳造営を制限したこと、そして一族の権威を示す手段が「古墳」からヤマト公認の「寺院」へとシフトしたためです。仏教という共通文化に染まることが、当時の支配階級にとっての「文明化」でした。

火の国 支配の変遷

かつて強大な独立国だった火の国は、どのようにしてヤマトの支配下へと組み込まれていったのか。その激動の歴史を振り返ります。

黎明・独立国の誇り 卑弥呼とも対等に渡り合った軍事大国「狗奴国」の時代。

黄金の提携期 ヤマト王権との同盟。北の筑紫を牽制する西の守護神としての時代。

二つの太陽と、南からの風 ヤマトの変質と筑紫の台頭。動くに動けない冷戦の時代。

決断と代償・支配の受け入れ 磐井の乱での苦渋の決断。生き残りの代償として屯倉を受け入れた転換点。

分割統治と、王から官僚への変貌 五つの国造への解体。任命制の管理職へと変質させられた時代。

群雄割拠する国造たち・本家火国造の苦悩 実務家へと変貌し、ヤマトの物流を支えることで家名を繋いだ本家の生存戦略。

群雄割拠する国造たち・阿蘇国造 宗教的権威と軍馬を武器に、聖域の主として独立を保った阿蘇氏の戦略。

群雄割拠する国造たち・県北のリーダーたち 筑紫の磐井という脅威に最も近い最前線で、ヤマトと結びつき産業を独占した県北豪族の知略。

群雄割拠する国造たち・葦北と天草 ヤマトから「直」という称号を得て、火の国連合からの自立と生存を選んだ南部のプロたちの物語。

肥後国の誕生と、古代王国の終焉 律令・神話・仏教というシステムにより、火の国のアイデンティティが「肥後国」へと塗りつぶされた完結編。