前回の記事では、ヤマト王権との「黄金の提携」によって、火の国がかつてない繁栄を極めた時代についてお話ししました。 しかし、歴史に「永遠」はありません。 6世紀に入ると、その絶妙なバランスは音を立てて崩れ去ります。

東からは変質したヤマトの圧力、北からは怪物・筑紫の誘惑、そして南からは不気味な沈黙を破ろうとする隼人(はやと)たち。 四面楚歌ならぬ「三面楚歌」。 今回は、二つの太陽(巨大勢力)と南からの風に晒され、火の国が陥った苦渋の「冷戦時代」について紐解きます。

ヤマトの変質:「カリスマ」から「システム」へ

最初の誤算は、最大のパートナーであったヤマトの変化でした。 「火の国 支配の変遷 ②黄金の提携期」で火の国が忠誠を誓った「ワカタケル(雄略天皇)」の血統は、実は短期間で断絶してしまいます。そこで新しく大王として招かれたのが、遠く北陸(越前)や近江出身の「継体(けいたい)天皇」でした。

消えた「契約相手」

これは火の国にとって衝撃でした。なぜなら、江田船山古墳の鉄刀に刻んだ契約は、あくまでワカタケル大王個人との「男の約束(個人的な主従関係)」という側面が強かったからです。 「俺たちが従ったのはワカタケル様だ。どこの誰とも知らぬ新社長(継体)に、同じ義理を通せるか?」

ドライな組織経営へ

さらに、基盤の弱い継体天皇は、大伴氏や物部氏といった中央豪族(官僚)の力を借りて統治を行いました。 そのため、地方への対応は「情」よりも「システム」が優先されます。 「朝鮮半島へ出兵するから、兵と物資を出せ。これは命令だ」 かつての温かみのあるパートナーシップは消え、ヤマトは「一方的にコストを要求してくる巨大組織」へと変貌していきました。

なぜ「筑紫」は怪物になったのか?

ヤマトが王位継承問題で揺れている隙に、北の隣人・筑紫(福岡)は爆発的な成長を遂げていました。その中心にいたのが、稀代のカリスマ「筑紫君 磐井(つくしのきみ いわい)」です。

彼の墓である「岩戸山古墳(八女市)」は、当時のヤマトの大王墓に匹敵するサイズを誇ります。なぜ一地方豪族が、これほどの力を持てたのでしょうか?

独自の「勝ち筋」

  1. 朝鮮半島(新羅)との密約: 当時、ヤマトと敵対していた朝鮮半島の「新羅(しらぎ)」と独自に手を組み、莫大な利益を得ていました。
  2. 物流の独占(中抜き): 大陸への玄関口を完全に押さえ、「ヤマトを通さずともやっていける」自立した経済圏を完成させていました。

磐井は火の国にこう囁きます。 「落ち目のヤマトに従って兵を出し、血を流す必要があるのか? 俺たち九州勢で手を組み、独立を守ろうじゃないか」 その提案は、実利を考えればあまりに魅力的でした。

背後の時限爆弾「熊襲・隼人」

北(筑紫)につくか、東(ヤマト)に従うか。 火の国の世論は揺れましたが、結局どちらにも動けませんでした。その最大の理由が、背後(南)にありました。

南九州(現在の鹿児島・宮崎南部)に割拠する「熊襲・隼人(くまそ・はやと)」の存在です。 彼らはヤマトにも筑紫にも従わない、勇猛な独立勢力。常に北上(侵略)の機会を窺っていました。

究極の軍事的ジレンマ

もし火の国が、北の筑紫につくにせよ、ヤマトにつくにせよ、主力を北へ移動させたらどうなるか? 「留守になった背後を、南の隼人に突かれる」リスクがあったのです。

かつてヤマトが火の国を優遇したのは「南の蓋」としての役割でしたが、この時期、その蓋は吹き飛ぶ寸前でした。 うかつに動けば、国が滅ぶ。この地理的条件が、火の国の手足を縛り付けていました。

迷える火の国(日和見の正体)

北(山鹿・菊池)の豪族は筑紫に靡(なび)きそうになり、南(芦北・八代)の豪族は隼人への備えとヤマトへの義理で板挟みになる。 かつて一枚岩を誇った「火君連合」は機能不全(フリーズ)に陥りました。

これが、歴史上しばしば「日和見(ひよりみ)」と批判される態度の正体です。 しかし、それは優柔不断だったからではなく、「全方位に敵と味方が入り乱れる、詰みの状態」だったからこそ、動けなかったのです。

【結び】 偽りの「遠征命令」と、開戦の狼煙

事態が動いたのは527年。 ヤマト王権(継体天皇)は、突如として6万もの大軍を動員します。 その当初の名目は「朝鮮半島への出兵(新羅討伐)」でした。

しかし、この大艦隊の進路を、北の怪物・磐井が塞ぎます。 「この聖なる筑紫の海を、ヤマトの軍靴で汚すことは許さん」 (新羅との密約を守るため、あるいは九州の自立を守るための行動だったと言われます)

朝鮮へ向かうはずだったヤマトの矛先は、一瞬にして筑紫へ、そして九州全土へと向けられました。 ここで火の国に突きつけられた選択肢は、より残酷なものです。

「北で反乱を起こした磐井を、南から挟み撃ちにせよ」

援軍として北の友(筑紫)を助けるか、ヤマトに従い友を裏切って背後から襲うか。 次回、古代史最大の内乱が勃発。火の国がついに下した決断とは。

火の国 支配の変遷 ④「決断・磐井の乱」へ続きます。