前回の記事、 火の国 支配の変遷 ⑥「群雄割拠する国造たち・本家『火国造』の苦悩と意地」 では、平野部で実務的な官僚へと変貌を遂げた本家、火国造の生存戦略についてお話ししました。
西暦528年の磐井の乱以降、ヤマト王権による分割統治が進む中で、東の山岳地帯において全く異なる独自の地位を築いた一族がいます。それが、阿蘇国造(あそのくにのみやつこ)です。
今回は、巨大な火山という「神」と、最強の軍事資源である「馬」を武器に、ヤマトさえも手出しできなかった聖域の主たちの知略を紐解きます。
【祭祀】 火山を鎮める唯一無二の権威
阿蘇国造の最大の武器は、阿蘇山そのものでした。 当時の人々にとって、絶えず煙を上げ、時に大地を揺るがす阿蘇の火山は、人知を超えた荒ぶる神でした。もしこの神が怒れば、九州全土、あるいは日本全体に災いが及ぶと考えられていたのです。
阿蘇国造の一族は、この荒ぶる神を鎮めることができる唯一の祭祀(さいし)権を持つ家系として、ヤマト王権に認めさせました。これが、後の阿蘇神社・大宮司家へと続く宗教的権威の源流です。
ヤマトは全国に支配を広げていきましたが、この「火の神」だけは直接支配することができませんでした。もし強引に阿蘇氏の権限を奪い、その結果として噴火が起きれば、それはヤマトの失政と見なされるからです。阿蘇氏は「神の代理人」という絶対的なカードを持つことで、分割統治下においても高度な独立性を保ち続けました。
【軍事】 草原が生んだ最強の機動力
阿蘇氏が持っていたもう一つの強力なカードが、広大な外輪山の草原で育てられた馬です。 古墳時代から飛鳥時代にかけて、馬は最新鋭の軍事技術であり、現代の戦車や航空機に匹敵する価値がありました。
阿蘇周辺の古墳からは、全国的にも珍しい精巧な馬具や、馬を象った埴輪(はにわ)が数多く出土しています。これは、阿蘇がヤマト王権にとって極めて重要な「軍馬の供給源」であった動かぬ証拠です。
ヤマトは阿蘇氏から名馬の貢納を受ける代わりに、彼らの自治を認めるという契約を結びました。阿蘇氏は、宗教的な聖域を守りながらも、軍事資源の管理者としてヤマトの軍事システムに深く食い込むことで、政治的な発言力を維持したのです。
【生存】 孤立を避ける「聖域」の外交
阿蘇国造の戦略が優れていたのは、決して山の中に引きこもらなかった点にあります。 彼らは県北(山鹿・玉名)や県南(八代)の豪族とも密に連携し、自分たちの馬を輸出することで広域なネットワークを築いていました。
ヤマト王権が火の国を五つに分割しても、阿蘇氏はその全ての地域に「馬」と「祈り」を提供することで、実質的な影響力を保持し続けました。 強いリーダーシップを振るうのではなく、誰もが必要とする「インフラ(軍馬と神事)」を独占する。この、しなやかで強かな生存戦略が、阿蘇氏を九州屈指の長寿豪族へと導いたのです。
【次章へ】 筑紫の影と、境界を守る者たち
東の山岳地帯で阿蘇氏が不動の地位を固めていた頃、筑紫(福岡)との国境に位置する県北エリアでは、また別の緊張感が漂っていました。 常に巨大な勢力のぶつかり合いに晒される最前線で、彼らはどのような道を選んだのでしょうか。
次回、火の国 支配の変遷 ⑧「県北のリーダーたち・境界線上の生存戦略」へ続きます。
よくある質問
Q 阿蘇国造は、ヤマト王権に対してどのような立ち位置でしたか?
A 宗教的な祭祀権(火山の鎮め)と軍事資源(馬)を独占することで、他の国造よりも高い独立性を維持していました。ヤマトに完全服従するのではなく、必要な資源を提供する代わりに自治を認めさせる対等に近い関係を築いていました。
Q 阿蘇が「馬の産地」だった証拠はありますか?
A 阿蘇周辺の古墳から、当時としては最新鋭の豪華な馬具や、精巧な馬の埴輪が多数出土していることが考古学的な証拠です。これらは、この地で高度な馬の飼育と管理が行われていたことを物語っています。
Q なぜヤマトは阿蘇を完全に支配しようとしなかったのですか?
A 阿蘇の火山噴火という自然災害を最も恐れていたためです。火山の神を祭る特権を持つ阿蘇氏を排除することは、国家的な災難を招くリスクがあると判断されたため、その権威を保護せざるを得ませんでした。
火の国 支配の変遷
かつて強大な独立国だった火の国は、どのようにしてヤマトの支配下へと組み込まれていったのか。その激動の歴史を振り返ります。
① 黎明・独立国の誇り 卑弥呼とも対等に渡り合った軍事大国「狗奴国」の時代。
② 黄金の提携期 ヤマト王権との同盟。北の筑紫を牽制する西の守護神としての時代。
③ 二つの太陽と、南からの風 ヤマトの変質と筑紫の台頭。動くに動けない冷戦の時代。
④ 決断と代償・支配の受け入れ 磐井の乱での苦渋の決断。生き残りの代償として屯倉を受け入れた転換点。
⑤ 分割統治と、王から官僚への変貌 五つの国造への解体。任命制の管理職へと変質させられた時代。
⑥ 群雄割拠する国造たち・本家火国造の苦悩 実務家へと変貌し、ヤマトの物流を支えることで家名を繋いだ本家の生存戦略。
⑦ 群雄割拠する国造たち・阿蘇国造 宗教的権威と軍馬を武器に、聖域の主として独立を保った阿蘇氏の戦略。
⑧ 群雄割拠する国造たち・県北のリーダーたち 筑紫の磐井という脅威に最も近い最前線で、ヤマトと結びつき産業を独占した県北豪族の知略。
⑨ 群雄割拠する国造たち・葦北と天草 ヤマトから「直」という称号を得て、火の国連合からの自立と生存を選んだ南部のプロたちの物語。
⑩ 肥後国の誕生と、古代王国の終焉 律令・神話・仏教というシステムにより、火の国のアイデンティティが「肥後国」へと塗りつぶされた完結編。


