前回の記事、火の国 支配の変遷 ⑧「県北のリーダーたち・境界線上の生存戦略」では、筑紫との国境でヤマトと結びつくことで自立を守った県北豪族の知略についてお話ししました。
西暦528年の磐井の乱終結後、ヤマト王権が火の国の解体を進める中で使った最強の武器は、武力だけではありませんでした。それは「格付け(地位)」という名の政治工作です。ヤマトは大王直属の地方官として国造(くにのみやつこ)を各地に置く際、地元の有力者たちに直(あたえ)という新しいランク(姓・カバネ)を授け、かつての盟主から引き抜いていったのです。
今回は、この「直」という称号を手にし、火の国の盟主から自立する道を選んだ南部二地域のリーダーたちの物語を紐解きます。
【昇格】 「火君の部下」から「ヤマトの直臣」へ
当時の火の国において、トップである火君が持つ「君」という称号は、地方豪族の中でも最高峰の権威でした。これに対し、現在の芦北や天草にいた有力者たちは、火君の連合体の一部として、その指揮下で実務を担う立場にありました。
ヤマト王権は、そこに目をつけました。彼らに国造という公的な役職を与え、さらに直(あたえ)というヤマト公認の地位を授けたのです。
カバネ(地位)の変化による心理的逆転
| 時代 | 序列のトップ | 地元のリーダーの立場 |
| 連合時代 | 火君(君) | 火君に仕える「部下」 |
| 国造制導入後 | ヤマト大王 | 大王に直属する「官僚(直)」 |
直とは、ヤマト王権と直接結びついたランクのことです。彼らにとって、これは単なる名前の変化ではありません。これまで仰ぎ見ていた火君を飛び越え、自分たちがヤマト大王と直接繋がる直属の部下になったことを意味します。この引き抜き工作こそが、火の国連合を内側から崩壊させる決定打となりました。
【防壁】 葦北直(あしきたのあたえ)と隼人の影
現在の芦北・水俣周辺を拠点とした葦北国造となったのは、代々この地で国境を守ってきた葦北直の一族です。彼らは古くから、南九州に広がる未知の勢力「隼人(はやと)」に対する防衛のプロフェッショナルでした。
彼らにとってヤマトから与えられた直の称号は、南の脅威に対するヤマト公認の防波堤としてのライセンスでした。火君という巨大な傘から離れ、自らがヤマトの最前線を守る独立したリーダーとして立つ。葦北のリーダーは、隼人という外敵と向き合う緊張感の中で、火の国の盟主を支えるよりも、中央の巨大勢力であるヤマトと直接契約を結ぶ道を選んだのです。
【潮流】 天草直(あまくさのあたえ)と海の物流
一方で、島々が連なる天草を治めた天草国造、すなわち天草直の一族は、全く異なるプロ集団でした。彼らは土地を耕すことよりも、有明海と八代海の潮目を読み、物資を運ぶ航海技術に長けた海人族(あまぞく)の長でした。
彼らが直の称号を受け入れた背景には、極めて現実的な計算がありました。天草は、九州南部や朝鮮半島、さらには大陸へと続く海の道の交差点です。ヤマト王権が必要とする南方からの物資や情報の流通を一手に引き受ける。その独占権をヤマトに認めさせることは、天草直にとって海の王としての地位を揺るがないものにするチャンスでした。彼らは火君の指揮下で一地域の水軍として終わるよりも、ヤマトの広大な物流網を支える海の管理職としての未来を選択したのです。
【終焉への序曲】 統合という名の再編
本家のプライドを守る火国造、祭祀を司る阿蘇、鉄と産業の県北、そして防衛と物流の南部。ヤマトは、かつての部下たちに直という光り輝く肩書きを与えることで、火君を孤立させ、巨大な火の国連合をバラバラに解体することに成功しました。
しかし、この分割状態は長くは続きません。ヤマトの支配がより高度になる飛鳥時代後半、バラバラにされた地域はふたたび一つの箱に詰め直されます。それが、行政区画としての「肥後国」の誕生です。
それはかつての独立した王国の復活ではなく、ヤマトという巨大なシステムに完全に飲み込まれる、古代王国の終焉を意味していました。
よくある質問
Q1.直(あたえ)とはどのような意味を持つ称号だったのですか?
A1.ヤマト王権が地方の有力な豪族に与えたランク(姓・カバネ)の一つです。火の国の盟主(火君)が持つ「君」よりは格下ですが、ヤマトの大王から直接任命されることで、火君の指揮下を離れてヤマトの直属部下になれるという、政治的に非常に価値のある称号でした。
Q2.なぜ葦北と天草のリーダーは、火君(盟主)から離れる道を選んだのですか?
A2.ヤマトから「国造」という役職と「直」という称号を直接与えられたことで、これまでの「盟主の部下」という立場から、「中央政権の地方官」へとステップアップできたからです。自分たちの家系の地位を確固たるものにするための、したたかな生き残り戦略でした。
Q3.当時の天草直(あまくさのあたえ)はどのような役割を期待されていましたか?
A3.有明海と八代海を自在に操る航海技術を使い、南方からの物資や情報の流通を管理する役割です。特に外交や軍事において海の道は重要であり、天草の海人族を味方につけることは、ヤマトにとって九州支配を安定させるための鍵でした。
火の国 支配の変遷
かつて強大な独立国だった火の国は、どのようにしてヤマトの支配下へと組み込まれていったのか。その激動の歴史を振り返ります。
① 黎明・独立国の誇り 卑弥呼とも対等に渡り合った軍事大国「狗奴国」の時代。
② 黄金の提携期 ヤマト王権との同盟。北の筑紫を牽制する西の守護神としての時代。
③ 二つの太陽と、南からの風 ヤマトの変質と筑紫の台頭。動くに動けない冷戦の時代。
④ 決断と代償・支配の受け入れ 磐井の乱での苦渋の決断。生き残りの代償として屯倉を受け入れた転換点。
⑤ 分割統治と、王から官僚への変貌 五つの国造への解体。任命制の管理職へと変質させられた時代。
⑥ 群雄割拠する国造たち・本家火国造の苦悩 実務家へと変貌し、ヤマトの物流を支えることで家名を繋いだ本家の生存戦略。
⑦ 群雄割拠する国造たち・阿蘇国造 宗教的権威と軍馬を武器に、聖域の主として独立を保った阿蘇氏の戦略。
⑧ 群雄割拠する国造たち・県北のリーダーたち 筑紫の磐井という脅威に最も近い最前線で、ヤマトと結びつき産業を独占した県北豪族の知略。
⑨ 群雄割拠する国造たち・葦北と天草 ヤマトから「直」という称号を得て、火の国連合からの自立と生存を選んだ南部のプロたちの物語。
⑩ 肥後国の誕生と、古代王国の終焉 律令・神話・仏教というシステムにより、火の国のアイデンティティが「肥後国」へと塗りつぶされた完結編。


