
種山石工は江戸後期において、いわゆる眼鏡橋的な石橋を肥後内では東陽町を中心に量産しているし、通潤橋 なんかも彼らの手による。
梅雨と台風を避けて作ったので、後期は7か月程度。短期間での大工事はLIFEが相当削られるような感じで、で卯助は二度と石橋を作らなくなったとか。
明治時代以降も、昭和41(1966)年に上流に鉄橋が架かるまで道路橋として使用されたが、現在は観光用の人道橋となっています。
渓谷の迫力と、それに抗う人間の挑戦の物語を感じながら、この風景を眺めてほしい。
種山石工の仕事は、橋をかけるだけではなく、石を加工するスキルが半端ないので、神社の灯籠や、皇居の二重橋、熊本城かの明六・明十橋などで、その実力を体感できる。
※手永とは ※種山の石工




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