
弓削神宮
弓削神宮は白川右岸の龍田町弓削に鎮座する。浮気封じの神社として名高いけど、ヒトコワな神社でもある。対岸の上弓削神社(法皇社)が男神で、弓削神社が女神という関係らしい。木彫りの男女性器や、絵馬に書き込まれた「恨み」の言葉は本当に凄まじく、人間の闇の深さを感じずにはいられない。実際には浮気封じと云うより、夫婦仲が良くなるようにとか、子授けだったり、五穀豊穣というのが本来のご神徳と思われる。木彫りの性器を奉献して祈願するというのはここだけの特別な習慣でもないだろうから。
弓削神宮へのアクセス弓削神社へのアクセス
- 交通
- 所在地
熊本市北区龍田町弓削6丁目21−20 - 駐車場
あり
弓削神宮の由来
天正年間に島津軍(川上忠堅・新納忠元)に焼き討ちされて、社宝や記録を失ってしまったので創建年代とかもよくわかっていない。由来板から文字起こしを。
今より凡そ七百六十年前、元仁の頃第八十六代後堀河天皇の御代と古老より代々云い伝えがある。天正十年島津義弘が御船の甲楽宗雲を攻せんせし時、その配下の新納武蔵忠元の軍勢に社殿を荒され、神器宝物悉く失い、有住有任の両名、漸し御体を奉持して難をさけたといわれる。その後明治四十五年に不慮の火災に遭い残された神器宝物の一部と神宮の記録一切が消失した。このため大正二年現社殿が築造された。
陽形物奉納の起因と由来:弓削は古代弓削部の置かれた処で伝説によるとその昔、この里に藤子と云う妖艶華麗な姫が住んでいました。ある日朝廷を追われた法王(弓削の道鏡法師)出身地の弓削部を尋ねて偶然、藤子姫を見染め遂に深い契りを結んだのでした。
それからというものは藤子姫の献身的なもてなしと交合よろしきを得て、さすがの大淫蕩をもって知られる道鏡法師も以来よき夫となり、この里に安穏の日々をおくったということである。
この陰陽相整うということが即ち万物生育豊作を意味し、村人が藤子様と恐れ崇めまつるのも亦、由縁さきことではありません。
性器を崇拝し天地陰陽の相合によって農作物の豊穣を祈願したという古代民族の信仰のありかたを想像すると豊作の祈願のために奉納したものと思われる。
要は夫婦和合一家団欒を願い子孫の繁昌を祈るあまり何時の頃からか夫の浮気封じの願いをかける神として崇められるようになったと思考される。
御霊験:古来弓削神宮は五穀豊穣、家業繁栄の神として崇められ豊作を祈り夫婦円満、子孫繁栄を願ったものですが特に陰陽茎の弱筋、子宝に恵まれない人、縁遠き男女、下の病に悩む人、夫婦間の不和、浮気封じの問題解決等多くの霊験があります。
それが祈願成就の陰陽形物奉納となっています。これらの御願いを持つ参詣者も数多く毎日香華の絶えることはありません。
個人的な解釈:主祭神は孝謙天皇ということだが、弓削道教とのあれこれで起きてしまった「宇佐八幡宮神託事件」は、重祚して称徳天皇だったときの出来事なので、主祭神は称徳天皇のほうがしっくりするんだけどな。そもそも、側社として藤子姫が祭神となっている。主祭神の孝謙天皇とどちらが先に祀られたのかな?
御祭神とご利益
なんの神様
第四十六代孝謙天皇(女帝)
側社:お藤姫
祭事
どんなお祭りがあるのかな?
1月1日・歳旦祭、6月1日・長寿奉告祈願、6月20日・大祓式 夏越祭、9月15日・報謝願解祭、10月17日・秋季例祭(恩徳祭)夜神楽奉納、11月七五三参り・歳旦祭、12月20日・大祓式 年越祭、12月31日・除夜祭
御朱印
御朱印の有無・対応時間など
弓削神宮の見どころ
ちょっと怖い絵馬とか諸々
一度だけ参拝したことがありますが、ここには特殊な想いで参拝・祈願に来る人が多くて浮気相手などの死を願ったりする絵馬とかも散見しました。呪いレベルのものもあるので、注意が必要です。つまり、あまりにも生々しい人の闇にちょっとたじろいだのでした。もしも、一人で参拝するのであれば、昼間明るいときに行くことをおすすめします。
弓削神宮ギャラリー
神社の風景を


神社に参拝したら是非チェックしてほしいポイント
弓削神宮の沿革
年月 | 出来事 |
---|---|
天正年間 | 島津氏家臣、新納忠元の両将に焼き討ちされ、社殿の焼失、社宝や記録の紛失をみた為に不明である。 |
参考文献・参考情報
- 弓削神社(熊本市)/Wikipedia/date:2024-08-03