彦嶽宮(山鹿市)

彦嶽宮

Hikotakegu

一の鳥居の扁額

彦嶽宮 について

山鹿市の国道3号線を北上しながら、岩野川を渡るとなだらかな山が見える。この山に誘われていくと神社がある。創建1850年を超える歴史を持つ。社全体が纏う雰囲気がよく、神様の存在を身近に感じることができる。

その歴史は磐井の乱・物部麁鹿火の歴史や、菊池一族の始祖・菊池則隆などとも深い関わりがある。

ギャラリー

彦嶽宮 の 歴史・由緒

ご創建

第12代 景行天皇の時代(西暦71年~130年)に、日向の国の熊津彦が謀反を起こしたので、天皇は御軍を率いて九州に上陸され、高天山(震嶽・ゆるぎだけ)に行宮を営まれる。

熊津彦は土蜘蛛の津頬(つつら)と共に兵を進めて夜中に天皇を襲うが、天皇が行宮において諸神を祈ると、彦嶽の頂上より高天山に霊感があって、高天山は大いに振動し、賊徒はたちまち敗走して天皇の大勝となる。

その後、天皇は日向の国に攻めて、熊津彦及び津頬を誅し、凱旋の途中に神恩に感 謝して、彦嶽三所に神宮を造立。これが彦嶽宮の始まり。

以降の歴史

第27代 継体天皇の22年(529年)に、筑紫国造 磐井の乱の際、物部麁鹿火は征討の命を蒙り、筑紫の国に下向し彦嶽宮を祈り御井郡の戦にて磐井を討平げることができました。

延久2年(1070年)に 菊池則隆 公は彦嶽宮に合殿神を迎え大祭典を掌行われ、領主 小鳥次郎は宝鏡一面を献納されました。

天正7年(1579年)肥前の龍造寺氏が菊池の赤星氏を攻めて、帰陣の際、彦嶽宮に放火したため社家防中残す所なく鳥有に帰し社頭も衰微してしまいました。

その後、肥後守・加藤清正公(1562年~1611年)に依り神田一町七畝を立て置かれる事になりました。

昭和4年(1929年)社殿の改修・境内の整備を実して彦嶽宮の神威の昂揚を願い神職・氏子一体となって御鎮座1850年祭が執行される。

彦嶽宮 の 御祭神

上宮

伊弉諾神(いざなぎの神)

伊弉冉神(いざなみの神)

事解男神(ことさかおの神) 速玉男神(はやたまおの神)

合殿

天児屋根神(あめのこやねの神)

経津主神(ふつぬしの神)

武槌神(たけみかづちの神)

底筒男神(そこづつのおの神)

中筒男神(なかづつのおの神)

表筒男神(うわづつのおの神)

中宮

月夜見神(つきよみの神)

彦火火出見神(ひこほほでみの神)

下宮

天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

倉稲魂神(うがのみたまの神)

合殿

素戔鳴神(すさのおの神)

健磐龍神(たけいわたつの神)

彦御子神(ひこみこの神)

摂社

金刀比羅宮:総本社は香川県に御鎮座。金比羅さんで親しまれるが、金毘羅大権現という神仏習合時代の信仰対象。

彦嶽宮 の 祭事

1月 元旦

  3日 元始祭(げんしさい)  下宮 午前11時

2月 4日 金刀比羅宮祭   金刀比羅宮 午前10時

  11日 建国祭(けんこくさい) 下宮 午前10時

  17日 祈年祭(きねんさい) 下宮 午前10時

3月 15日 播種祭(たねまきさい) 上宮 午前10時

4月 8日 中宮祭 中宮 午前10時

6月 30日 大祓(おおはらえ) 下宮 午後4時

11月 23日 新嘗祭(にいなめさい) 下宮 午前10時

  25日  例祭(れいさい) 下宮 午前10時

12月 15日 大麻頒布式 下宮 午前9時

  29日 大祓 下宮 午後2時

  

毎月1日・15日 月次祭(つきなみさい)

彦嶽宮 へのアクセス

  • 所在地
    〒861-0551 熊本県山鹿市津留2248
  • 駐車場
    社務所に3台程度