立神熊野座神社(氷川町)
立神熊野座神社について
国の天然記念物にも指定されている美しい峡谷。国の天然記念物にも指定されている美しい渓谷・立神峡は、石灰岩の絶壁が連なる人気の景観。その傍らに鎮座しているのがこの 立神熊野座神社。
平家の一族によって創建された。拝殿は下宮で山を登るように中宮・上宮がある。ちょっとした登山になるが、上宮を目指すと途中で五百羅漢があったり鍾乳洞があったりする。
また拝殿の天井画は最近になって地元の高校生が新しいものを制作したらしい。
そんな立神熊野座神社を詳しく調べてみた。ぜひご覧いただき次のお出かけの選択肢にしてもらえたら幸い。
立神熊野座神社 の概要
立神熊野座神社 の案内板によると
祭神
速玉男神(はやたまおのかみ)
伊弉丹神(いざなみのかみ)
事解男神(ことさかおのかみ)
御社殿
流造(本殿・幣殿・拝殿)
創建は、景行天皇十三年八月(皇紀七四三年)で、平家の一族が社殿を造営した。
その後、應長元年(一三一一年)と建武二年五月(一三三五年)に名和伯耆太夫判官が社殿の改築を行い、文久二年(一八六二年)に氏子により、神殿と拝殿の修復がなされ、現在に至っている。
また、「速玉男神」は和歌山県にある熊野三山の一つである熊野速玉大社の御祭神で、五穀豊穣と山の守り神である。「伊弉丹神」は、日本国土と人々を生成された、イザナギ・イザナミ二柱の女神様の方で、家内安全・夫婦和合・縁結びの神である。「事解男神」は、イザナギ・イザナミの御子で、知識豊かな学問の神である。
以上の如く、由緒正しき古宮であり、古くから秋の大祭には、前夜と 当日に稚児神楽が奉納されている。
まちづくり立神支店
資料: 宮原三神宮
創建が皇紀743年を真に受けて、西暦83年が創建だとするとちょっと厳しい。原初は上宮の洞窟そのものを信仰していた可能性を感じる。平家の一族がお社を造影したという話を知って思うのだが、平安時代の後期に赴任してきた人なのか、それとも源平の戦いに敗れて落ち延びてきたのか。。。
中宮の不動明王について
不動明王
立神地区には三社があり、上流から立神魔神(上宮)・不動明王(中宮)・熊野座神社(下宮を番神とする)とある。
不動明王は、悪魔を降伏するために恐ろしい姿であり、すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わないものを無理矢理にでも導き救済するという役目を持っている、真言宗の教主「大日如来」の使者である。
目を怒らせ、右手に宝剣を持ち左手に縄を持つ大変恐ろしい姿をしているが、その心は人々を教済しようとする厳しくもやさしい慈悲に満ちている。
立神熊野座神社 ギャラリー
立神熊野座神社 の 御祭神
上宮
立神龍神
立神の地名の由来にもなっている。
中宮
下宮
速玉男神・伊弉丹神・事解男神
立神熊野座神社 の 祭事
夏祭:七月九日
秋祭:十月九日
熊野座神社の秋の例祭が毎年十月九日に行われ、立神地区の人たちによ り神楽が奉納される。この祭りを進めていくのは宮座といい、集落を七組に分けて順に一年交代で担当する。
まず、八日のゴヤづとめから始まる。夕刻に、受前の宮座の家に組が集 まり、神職と神楽方が「出立」の儀をおこなう。本膳をすえて、お神酒の披露があり、楽人は鳥帽子をかぶり白装束に着がえ、神楽の舞い手は、 八〜九歳の子ども一名を選び「神子」(かみのこ)とする。神子には、鳥帽子をかぶせ赤色の狩衣を着せて、鈴と扇子を持たせる。
その座で神楽一座舞い終わって、神社までの道を、太鼓を打ち鳴らしな がら、宮座・組の者一同お供をして宮に参る。これを「道行き」という。
前夜祭として奉納するものを半神楽(はんかぐら)とし六座奉納する。 楽人による笛・太鼓を銅鑼(ジャグワリン)の奏楽に合わせて、神子は、 神前に向かって座し一礼、右手に鈴、左手に扇子を持ち、右手で左手首を 打ちつつ「左に三回廻り」次に「右に三回廻り」さらに「左に三回廻り」 神前に向かって座し一礼する。これを三回繰り返し一座とする。
本祭りは、九日の午前中に祭礼の儀式を終わり、幣殿(へいでん)で神楽を十二座行う。これを本神楽(ほんかぐら)という。この神楽が奏せらる間に、住民は初穂米(オヒネリ)を持って神前に供える。神事が終わると、神前にそなえられた御供飯(ゴクサン)を 立神の各戸毎に仕入れが配る。無病息災のいわれである。そして、祭りが終われば、宮座の組中の者が集まり直会(なおらい)が行われる。
半神楽、本神楽がいつ頃から始まったか不明である。昔は、楽舎・御供 屋があって炊飯していたという。御供屋の跡は、今もなお残っている。
氷川町教育委員会 まちづくり立神支店
立神熊野座神社 へのアクセス
- 交通
産交バス:立神・徒歩10分 - 所在地
熊本県八代郡氷川町立神974 - 駐車場
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