群塚神社・明神池名水公園 (南阿蘇村)
群塚神社・明神池名水公園
群塚神社は南阿蘇村の吉田地区にご鎮座されます。
境内には南阿蘇の湧水群のひとつである明神池。自然と水神の存在を感じて信仰が起こり、明神様などを祀るようになったんでしょうね。
水音が心地よく響く公園です。
名水を味わいながら南阿蘇の贅沢な自然を満喫してほしい。
群塚神社 の 歴史・由緒
天正年間、当地区に吉田城があり、城主には子がなく、この水源で身を清め、境内にある誕生石に願いをかけられたところ、子宝に恵まれました。
しかし、産後の肥立ちが思わしくなく乳が足りず、日に日に痩せ細る子どもたちに困り果てた奥方は、境内にあるいちょうの木に乳房のように垂れ下がっている気根を撫でられたその日から病気も回復し、乳の出もよくなり、それ以来現在もなお、婦人の参拝する信仰が残っております。
また、日本最後の内戦である明治10年の西南の役で、会津藩家老佐川官兵衛は当地区長門屋の座敷にて南郷有志隊と薩摩軍に対する作戦会議を行い、この水で身を清め、当群塚神社に必勝を祈願された事実が残されています。
明神池名水公園 について
群塚神社の境内にある湧水地。
湧水量は毎分約2トン。池のいたるところから清水がふき出し、その景色は見事。
池の水は、子宝に恵まれる誕生水としても有名です。
水と緑を求めて来られる旅人や、住民みんなが憩える水辺づくりがなされ、地域住民の方々により維持管理されております。
この明神池には数々のロマンと伝説があり、ここに紹介させていただきます。
絶間なく湧出る水は誕生水と呼ばれ飲 心と安産に効果ありとされておます。
昔(天正年間)当地区に吉田城があり、城主には子供がなく、この水源で境内にある誕生石に願をかけられた所、子宝に恵まれました。
しかし、産後の 日立ちが思わしくなく乳が足りず、日に日に痩せ細る子供に困り果てた奥方は、境内にあるいちょうの木の乳房のように下がっている気根を撫でられたその日から病気も回復し、乳の出も良く成り、それ以来現在も尚、女性の参拝する信仰が残っています。
又日本最後の内戦明治 十年西南の役で、会津藩家老佐川官兵 は当地区長問屋の屋敷(現存)にて南郷 有志隊と薩軍に対する作戦会議を行い、 この水源で身を清め、当群塚神社に必勝を祈願された史実残されています。
明神池河童伝説
この明神池に仲のよい男と女の河童がすんでいました。
いたずらが激しい男の河童は神の怒りに触れ遠くの池に追放されたのです。
女の河童は池の中の石の上で彼の帰りを待ちました。桜の咲く春木の葉が舞い散る秋、木枯らしが吹き荒ぶ寒い冬になっても彼はついに帰ってこなかったのです。
彼を待つその姿は悲しく哀れで人々の涙を誘っておりましたが、その姿も今はなく、石だけが昔のまま、ポツンと残り、人々はその石を河童石と呼んでいました。
平成九年この伝説に基づき彼の帰りを待ち続け悲しみの中でも希望を持つ女河童の姿が河童石の上によみがえり、建立されました。
群塚神社 の 御祭神
群塚神社 の様子
群塚神社 の祭事
- 夏祭:7月27日
- 秋祭:10月29日
群塚神社 の御朱印
不明
群塚神社・明神池名水公園 のアクセス
住所:〒869-1503 熊本県阿蘇郡南阿蘇村吉田
バス停:上吉田より500m
駐車場:あり