湯島/談合島(上天草)

湯島はここ数年「猫の島」として知名度をぐんぐん伸ばしている湯島。その昔「島原の乱」のリーダーたちがこの島に集まり、放棄する相談をしたことから「談合島」とも呼ばれている。

湯島(令和2年2月18日)

島の概要

島原半島と天草諸島の中間に位置し、周囲約6.5kmという半日もあればぐるっとひと回りできる、小さな島なのです。

この島の人口は280人(平成29年)だが、ネコの数はそれを上回るという、まさにネコの島なのです。湯島大根とか聞いたことがあるけど、特産品なのかな。

交通手段として、湯島商船が江樋戸港(上天草市)と 湯島 を連絡してます。
また島内にも宿泊施設や食事処がありますが、でもまぁ、最初に猫ちゃんたちを御覧ください。

ネコちゃんたち

島の施設・お店

アコウ樹

湯島(令和2年2月18日)
ハート型のアコウ樹

アコウ樹は島の住宅を守る防風林として、おおく栽培されていました。現在はその役目を終えて、街のシンボルとして所々に残っています。

写真のハート型のアコウ樹。ここでカップルが写真を撮ると幸せになるという伝説があるそうです。が、ちゃんと人が選定してるようですw

港の周りには、小さな祠が散在します。小さな島の小さな信仰を感じることができます。

峯公園

峯公園は標高104mという湯島の頂上にあり、六角形の展望台があります。
お天気が良ければ、ここから雲仙・島原・天草の美しい眺望を愉しむことができます。

遠見塚の跡

天草島原の乱の準備のため、天草四郎はこの島で武器を作らせたと伝わる。つまり湯島は重要な戦いの軍事基地。
天草と島原の中間地点という地理的な面からも、往来する船を見張る番人がおかれ、連絡の拠点としても重要な役割を果たしていました。

談合島之碑

ここに天草四郎時貞を中心とした一揆軍の指導者が集まり、 作戦会議(談合)が行われたと伝わる。
1637年10月24日におこなわれた談合で、 天草四郎は総大将になり、同月26日島原城攻撃に参加しました。
この湯島が別名・談合島と呼ばれる由来となっています。

涼泉院殿月江宗白居士居塚

キリシタン大名の有馬家第13代晴信の実弟純実の塚です。
晴信との宗教信仰との相違により怒りをかった純実はこの島へ流され、 殺されたと伝えられています。

キリシタン墓碑

湯島で亡くなった日本人キリシタン布教師の墓碑とされています。かまぽこ型の墓石には、十字が刻まれています。

湯島灯台

有明海の入り口で、 40年も海の安全を守ってきた白亜の灯台。
見はらすその向こうは島原。傍らには南国の植物がしげり往時をしのばせます。
大正時代に建てられた当時のレトロな姿を保ったまま、島原湾、湯島瀬戸を往来する船を見守る姿は深い歴史を感じさせる。

原城スポット公園・一ちょ墓 島人のやさしさの証です

心やさしい島の人々が、 大津波の被害にあい島に流れ着いた遺体をねんころに供養した跡といわれます。
1792(寛政4)年、 「島原大変、肥後迷惑」といわれた雲仙普賢岳の大噴火でのことでした。

宿泊施設

日の出荘 ☎0964-56-4075
有明荘 ☎0964-56-4101
月見荘 ☎0964-56-4001
きく ☎0964-56-4375

食事・カフェ

海女ちゃん食堂
南風泊
ボンヤリカフェ

湯島大根

湯島大根(令和2年2月18日)

一輪車とバイク

雑観

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