中島日吉神社(大津町)

中島日吉神社

中島日吉神社 は白川による災害と向き合う地域住民にとってとても大事な神社だったようです。中島が白川の中の島だった時代がありました。
色々と調べたら境内には公園的な要素もあり、地域住民の祈りを感じる神社建築に思いを馳せてみました。

中島日吉神社 の 歴史・由緒

中島日吉神社(平成30年4月18日)

中島日吉神社 がある中島地区の北部を流れる白川は元々集落の南側を流ており、岩坂との境界になっていたそうです。

時期的には、平安前期貞観11年(869)夏の大雨で九州の諸川大氾濫、白川も激流のあまり集落の北側に新たな流れが出来て、「中の島」となり、「中島」村と称したそうです。

その後、平安中期寛和2年(986)夏に再度大洪水に襲われ、北側が白川の本流となり、中島は地形上白川南岸の地区になりました。

この地には古くから窟宝満宮(竈門神社・太宰府市)を勧請した社を鎮守として人々が住んでいたが、白川の水災を恐れて何時の頃か現在の集落に移住してきたようですが、室町前期北朝の佐々木合志氏が大津地域に勢力下にしていく中で、その一族である合志隆保が元中2年(1385)ここを支配、応永元年(1394)近江(滋賀県)坂元の日吉神社を勧請したのだそうです。

このように神社は結構、名前を変えたり祭神様が変わることがある。こういう歴史をたどるのが結構楽しい。

史料によると、隆保-隆春-隆国-隆亮-隆明-隆義-隆光、と7代の支配を経て、豊臣期天正13年(1585)北上する島津勢力により合志本家は滅び、隆光は館を逐われたそうです。その後、江戸期に隆光はこの地に戻り、庄屋大田黒志摩守と名乗って居住し、一族は加藤・細川の藩政を助け、中島井手開削など地域の安定に尽くしました。

南側の旧本流の畔には、厳島神社「ウキシマサン」の古宮があり、白川の洪水で漂着した神像を祀っていましたが、現在は日吉神社境内に合祀されています。

また、日吉神社内の御門神社は「矢五郎さん」と親しまれ、北側に83個の丸型自然石を年の神として祀る合志氏の屋敷神「年の神」、南側に中島合志7代の屋敷跡とされる「奥の七塔」があります。中島は、白川の岸辺にあって、多くの神々が訪れた憩いの地でした。

中島日吉神社 の 御祭神

大山咋神 大物主命(?)

中島日吉神社 の 見どころ

中島日吉神社 の 参道

現在参道らしい参道はない

中島日吉神社 の 鳥居

どっしりとした明神鳥居、台輪がついているタイプ。

中島日吉神社 の 拝殿・本殿

中島日吉神社 の拝殿は妻入造りかな?シンプルな過感じ。一方で本殿は古いものらしく木鼻や何百年も梁を支えている邪鬼、龍などの細工が立派。

中島日吉神社 の 狛犬

中島日吉神社 の 摂社・末社

社殿両側にある御門神社は「矢五郎さん」と呼ばれています。また、合祀の厳島神社はウクシマサンと呼ばれていますが、その昔、白川洪水で流されてきた御神体を寺崎に祀っていたのをここに遷したといいます。

中島日吉神社 の 手水舎・手水鉢

その他

中島日吉神社の 祭事

宮座組は北、中、南、寺崎の4組で受け前をして祭りをしています。座祭りは10月13日でしめ縄を替え、弊くじで次の座元を決め、新座元は御幣を受けます。これを送っていき、そのあとで座祭りをします。寺崎ではウクシマサンの祭りをしていました。本祭りは11月13日で神事のあと、直会があります。明治のころまでは相撲もありました。

中島日吉神社 へのアクセス

住所:大津町中島77

駐車場:1台程度は駐車できます

アクセス