河原町繊維問屋街(熊本市中央区)

河原町繊維問屋街 は昭和の息吹が残っている

現在では個性的なお店が軒を連ねるレトロな空間。ノスタルジックな雰囲気がとても人気で、映える写真を撮りに来る人が後を絶たない。

現在は、個性的なお店が入居していてアート作品の展示やイベントなどが行われているそうだ。

河原町繊維問屋街 の歴史

もともと河原町は、太平洋戦争の後、長六の闇市として賑わったところだ。繊維問屋街 などはその名残。

調べてみると、戦後は辛島町と熊本駅界隈と河原町が大きな闇市として知られている。そんな人の流れを支えたのが河原町電停。
1965年に廃線となった市電川尻線への接続もここが起点だったようだ。どんな場所にでも歴史はある。

さて、この闇市を構成していたのは、3割の朝鮮人、3割の日本人、残りが沖縄人や華僑だったという。この闇市からニコニコ堂の創始者やゴムなどを取り扱って大成功した人もいるらしい。国際色が豊かだったので国際市場と呼ばれていたようだ。

1958年「長六の大火」によってこの国際市場は灰になる。

熊本・河原町「国際繊維街」の社会史 で検索すると学者さんの論文が出てくるんだけど、読みやすくて面白い。当然、それを参考に書いているので、興味がある方は、ぜひご一読されたい。