遠山弥二兵衛

遠山弥二兵衛

山鹿市の三玉地区は、昔、深刻な水不足に悩まされていました。雨が少なく、米が育たない年もあり、村人たちは生活に困窮していました。そんな中、地域の役人だった遠山弥二兵衛は、この状況を何とかしようと奮闘します。

弥二兵衛は、村人たちの苦しみを目の当たりにし、大きな決断を下します。それは、地域にため池を造ることでした。五十万トンもの水を貯められるほどの巨大なため池を造るという、並大抵のことではありません。しかし、弥二兵衛は諦めず、村人たちをまとめ、困難を乗り越え、ついに「湯の口のため池」を完成させたのです。

このため池の完成により、蒲生地区をはじめ、御宇田、方保田、古閑、中村、日置、白石など、周辺の多くの地域が潤い、新しい水田が76ヘクタールも開発されました。これにより、村人たちの生活は大きく改善され、豊かになったのです。

遠山弥二兵衛の勇気と決断は、地域の未来を大きく変えました。彼の功績は、今もなお人々の心に深く刻まれ、地域の宝として語り継がれています。

3年の歳月をかけて完成したため池。最初の放水の日、弥二兵衛は決死の覚悟でその場に立ち会いました。それは村人にとって、そして彼自身にとっても、決して忘れることのできない瞬間だったでしょう。

堤防の完成を告げるその日、弥二兵衛は水門を開ける時を迎えます。そして、村人の力をかりて作り上げた堤防が崩れてしまったら。村人への申し訳ないとして、失敗したら腹を切る決意を固めます。そして、刀を手に堤防の上に立ち、放水の瞬間を迎えました。

しかし、苦心して築き上げた堤防は、見事にその役目を果たしました。びくともしない堤防の姿に、弥二兵衛は安堵の息をついたことでしょう。

後日、弥二兵衛自身が記した「取扱趣意書」には、その日の心境が赤裸々に綴られています。「夫婦二人、この場で果てる覚悟でいた」という言葉は、彼の決死の覚悟と村人への深い愛情を物語っています。

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