黒石日吉神社 (合志市)
黒石日吉神社
合志とか大津とかって日吉神社が多い気がする。有名な滋賀の日吉大社が総本社として有名。大山咋神が御祭神。広い意味では土木。とくに治水(農耕)の神様として厚く信仰されている。
黒石日吉神社も寛永13年(1636年)9月の創建されたという。いやいや、この神社に限らず。鼻ぐり井手とか大津町の治水灌漑事業って暮らしを豊かにするための大事業だったと思う。
このあたりに日吉神社が多いのはそういうわけなのかもしれない。
後述の淵源回顧の碑によると、黒石という集落は、江戸時代に開墾された地域で平時は農業を営みながらも、地筒(武士の一種)として誇り高く暮らしていたようだ。もともとが浪人だから、仕事と居場所を与えられて感謝していたのかもしれない。
神社の説明板・ご由緒書
淵源回顧の碑 というのがあったので、文字起こしを頑張ってみた。
藩主細川忠利公入国の初茫々たる合志原を拓き地筒を仕立て黒石など五ヶ所に諸国の浪士を収容開墾せしめらる。実に寛永十三年也。就中黒石組は三十六人各禄高二十石分畑十三町三反三畝を給う。同年九月霊験により黒石日吉神社を建立す。此地固より菲瘠の土、創業の辛苦察す可く唯毅然たる士魂ありて克く之を成せる也。爾来子孫連綿之を紹ぎ公には修文練武軍国の責を果し、私には自主自営農耕の労を積み、出でては
嶋原の役、浦賀の戌、小倉の征討に功を樹て、入りては神人感孚し、隣里親睦し、醇厚の美俗效廉恥の良風は廔公の表彰に与り、世の推重を受く、治世の豪、教化の美、貞節の操、其間に輩出し以て現時の隆昌を致せり。今茲創業三百年に当り、大祭を挙げて報賽の誠を效し、豊碑を建てて淵源の深きを温めんとす。今遠く遠祖の労功を懐い、近く、中祖の堅持を顧み現代の盛運を賀し、茲に古語を録して以て先業を頌し後昆に
諗ぐ。
御祭神とご利益
なんの神様
大山咋神
彦火火出見・国常立神・邇邇芸尊
祭事
どんなお祭りがあるのかな?
11月27日
御朱印
御朱印の有無・対応時間など
社務所はあったような・・・
神社の見所
神社に参拝したら是非チェックしてほしいポイント
疣の水とか鎮座石、牧の内跡とか大きな石がいっぱいある。その形状から、火山活動による巨石とも感じられるものもあるのだが、いろいろとその由来ははっきりしていない。いや、なんか霊験云々が拝殿の由来版に書いてるんだけど、文字が薄れておりうまく読めないのだ。
鳥居や狛犬は比較的新しい雰囲気だった。奉納された年代とかはチェックしてなくてごめんなさい。
手水舎やなにかの記念碑、猿田彦大神など寛永の頃からこの神社はこの地域の中心的な存在であり、人々の支えになってきたんだなってわかる。
末社に天照大御神が祀られている。
拝殿・本殿はスタイリッシュな作りでところどころ彫刻が凝っている。そんな神社だっった。熊本の神社はあまり彫刻が凝っているところって少ないからね。
黒石日吉神社の沿革
年月 | 出来事 |
---|---|
1728年・享保13年9月 | 創建 |
昭和20年ころ | 法人登記 |
年月 | 出来事 |
黒石日吉神社へのアクセス
- 交通
熊本電鉄 黒石駅 より徒歩8分
熊本電鉄バス 黒石・ポリテクセンター熊本前 よろ徒歩8分 - 所在地
熊本県合志市須屋2556番地 - 駐車場
境内ウラに数台
参照情報・参考文献
“2008年 06月 17日”. 街角散策.(参照日:令和6年6月15日)
" 広報こうし 2019年1月号”(参照日:令和6年6月15日)