源為朝

為朝神社鳥居の扁額

源為朝

源為朝は、平安時代の武士です。とても体が大きく、弓を射るのが得意豪傑だった。生まれつき少し乱暴なところがあり、九州に追放されてるんだけども、その九州でたくさんの人を従えて勢力を広げます。九州・熊本には彼にまつわる伝説が山ほどある。

源為朝について

鎮西総追捕使

為朝は身長七尺ほど(2m10cm)の大男で、とても乱暴者だったので、13歳で父・為義に勘当され九州に追放。豊後で暮らしていたけども、阿蘇の阿曽三郎平忠国の娘さんおお婿さんとなる。その後、鎮西総追捕使を自称し、暴れまわる。

菊池氏や原田氏などと数十回の合戦を繰り返し、九州をほぼ平定したという。

公家社会から武家時代へのきっかけとなった「保元の乱」などでも活躍したけど最終的には伊豆大島に流されて生涯を閉じる。

関連スポット

須屋の三ツ石とか水俣市の為朝神社

関連情報

生没年月日

生誕 保延5年(1139年)
死没 嘉応2年4月6日(1170年4月23日)ごろ

別名

鎮西八郎

関連人物

兄:源義朝
甥:源頼朝・義経

源為朝 年表

年月出来事
年月出来事