下津久礼日吉神社(菊陽町)

下津久礼日吉神社 について

菊陽町、白川の河岸段丘を上手に利用した造りの境内。石造りの一の鳥居や朱塗りの二の鳥居と、立派な参道から見上げる石段など、魅力的な 下津久礼日吉神社。白川の沿岸なので災害などを経て現在地にお鎮まりくださったようだ。

下津久礼日吉神社 ギャラリー

一の鳥居が石造り、二の鳥居が朱色。どちらも明神鳥居だったと思う。

狛犬さんは二の鳥居と境内に2対いらっしゃる。手水舎と手水石が可愛い。

神社 の 歴史・由緒

下津久礼日吉神社
下屋敷1871番地
祭神
彦火火出見尊・伊邪那岐尊・蹈鞴姫命・帯中津比古命・奥津彦命・奥津姫命

縁起
人皇83代、土御門天皇の御頃、正治2年(1200)3月15日、斉院次官(従五位の下)大膳大夫、中原親能の四男、摂津守師員が、ときの将軍、源頼朝から肥後国合志郡(現在の菊池郡)地頭職を命じられ、二子村(合志町)に下向して、近江国比叡山(滋賀県大津市坂本)「日吉山王社」を勧請して守護神としたのが始まりである。
「日吉山王社」とは、古来より山王権現、又は、山王二十一社と呼ばれ、朝廷の尊崇が厚く、室町中期に太田道灌が、日吉神社を江戸城内に勧請して、大江戸の守護神としたことによって、全国にその名が高く、現在 「日吉大社」と称されている。 この山王社は、二十一神 が祀られ、これを三区して、上社・中七社・下七社とよぶ。合志郡(現菊池郡)においては上七社を住吉村(泗水町住吉)に 「中七社」を竹迫村(合志町豊岡)に、そして 「下七社」がこの津久礼日吉神社である。このは、もと、この南方500m地点の「日吉神社旧址」の地に感情されていたが、延宝の初め(1673〜1680) たび重なる水難、天災のため、村を挙げて現在地に移り住み、併せて、神社も現在地に遷宮されたものである。更に、平成元年12月、県営ほ場整備事業の推進と共に「旧址の碑」も、南西約十メートル、四又路わきに水神(神石 波邇夜須神、水波能売神)共に遷座されたのである。なお、当社境内の石段東下に、明治四十五年 三月二十五日、字、松の本より「水神社」を遷座と記録されているが、その神石には「馬の神」と刻まれている。 この「日吉神社」は、区の氏神として、五十年ごとに、年を執行してきたが、平成五年三月にあたるにより、謹んでこれを記すものである。

神社 の 御祭神

彦火火出見尊・伊邪那岐尊・蹈鞴姫命・帯中津比古命・奥津彦命・奥津姫命

神社 の 本殿と拝殿

神社 の 祭事

神社 の 摂社と末社

神社 の 見どころ

神社 へのアクセス

  • 所在地
    〒869-1101 熊本県菊池郡菊陽町津久礼1871
  • 駐車場:なし
  • 公共交通機関
    産交バス;津久礼停留所から15分

神社 の 参考情報