手取天満宮 (熊本市)
手取天満宮 について
手取天満宮 は、熊本県熊本市中央区上通町にご鎮座する神社。学問の神様として知られる 菅原道真 公を御祭神としてお祀りする。
創建は承応年間(西暦1650年頃)肥後熊本藩士の信仰・体験によって建立されている。依頼、学問以外にも書道や厄除けのご神徳があるとして、市民から親しまれている。
ところで、表参道通りの大きな朱塗りの通り鳥居は印象的で、西隣のカトリック教会との対比が面白い。
手取天満宮 ギャラリー
歴史・由緒より
後光明天皇の御代 承応年間(西暦1650年頃)手取被分町の住人肥後藩士 平井勘右衛門正恒はかねてより天満宮を崇敬し、或る夜菅公が枕に立たれこの家の井戸にきていることを告げられ、翌朝邸内の井底より尺余の天神尊像を得て、一宇を創祀し鎮祭。宝永五年三月平井家大火に罹り焼亡の砌、神祠も延焼。近くの鎮護山長安寺境内の梅の樹より夜々光明を放つ徴があった。寺僧之を怪しみ梅の樹の下に至れば天神様の尊像厳然として出現された。僧かしこみて使いを出し、平井氏は年来の信徒等を率いて来たがその奇瑞を感じ、元の如く邸内に復祭を議れしが火災を遁れてこの地に来られし故に、この長安寺境内に鎮祭されることとなった。その後七十余年月を経て、安永七年七月二十八日再び大火が起こり寺塔悉く回禄となりしも神祠はこれを免れた。
明治の初め、神社区画改正の際、熊本五小区中の氏神社に定められ大正の御代に地方官より市内幣饌料供進の神社に指定された。昭和二十年七月一日の熊本大空襲では戦災にあうことなく、厳として残り奇しき由緒多く学業成就、厄除開運、鎮火の神として城東校区の氏子を始め多くの崇敬者に崇敬されている。
昭和初期までは毎年一月二十五日の初天神の祭典には菅公出現の井より若水がお供えされていた。
平成十四年十月二十五日菅公壱千百年大祭斎行。
境内に徳富蘇峰揮亳碑二基、汗かき地蔵堂あり。
御祭神
菅原道真 公
手取天満宮 へのアクセス
- 所在地
〒860-0845 熊本県熊本市中央区上通町5−34 手取天満宮 - 駐車場:数台
- 公共交通機関
各バス・熊本市電:通町筋・水道町